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防衛本能と被害妄想

先日散歩もかねて遊びに出かけたときのこと。
近所でもあるので、ふらっと家族三人で出掛けた帰りしな。

遊び疲れて眠そうな息子を旦那が抱っこして隣を私が歩いてたとき、後方から自転車に乗ったオッサンがふらーっと近づいてきて話しかけてきた。

この男性をどう形容しようか迷ったが、正直オジサンという言葉もオジイサンという言葉も似つかわず、オッサンという言葉が一番しっくりきたのでここではそう表現させてもらうことにする。

近所に住んでいるのか、ラフな格好で靴はかかとを履き潰しており、かごにはレジ袋がおもむろに突っ込んである。どこかで買い物を終えた帰路なのだろうか。このオッサンは自転車で隣を並走しながら息子を見つめながらしばらくの間主に赤ん坊はイイネ!大好き!ということを話し続けた。

赤ちゃんが空気を和ますこと、その空気がとても好きだという思い、頬っぺたが丸々とした感じがとてもかわいらしいなどと誉めそやした。よくある散歩途中に初老のおじさんおばさんが子どもに話しかけてくる光景だと思い、我々夫婦は終始笑いながらただただ歩き続けた。彼はしまいには「いつか立ち飲み屋行こうな!」と息子に告げて最後は「ありがとうございました」と何故か礼を述べて走り去っていった。結果、これはいわゆる「害の無い」ただの子どもを軸としたほのぼのした会話だった。

しかしながらここに書き残したのには当然のことながら理由がある。それは私一人の頭の中で展開されていた、天使と悪魔のかけあいについて。批判を恐れずに表現するとするならば

このオッサンは害なのかどうか。

この一言に尽きる。
もちろんいい人でただただ子どもが好きな人なのかもしれない。しかし、もしかしたら悪い人なのかもしれない。

子どもを危険にさらしたくない、というのが本音でありそれ以上でもそれ以下でもないのだが、どうしてもこの母親としての「防衛本能」と「被害妄想」なるものは双方が交互にやってくる。それは相手がどんなに良い人だろうと見知らぬ相手では相手の中身を多少なりとも知りえない限り発動するのだ。

結論としてこれは「被害妄想」に終わった。
よかった、「被害妄想」で。

ごめんなオッサン、話しかけてくれてありがとう。


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