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大キュビズム展-美の革命-

6月の半ば、京都市京セラ美術館でやっていたパリ ポンピドゥーセンターキュビズム展美の革命に行ってきた。

開館前に近くのカフェで一息つきながらおさらいしていた。というのも、「キュビズム」とはよく聞くもののイマイチよく分からなかった為だ。

なんか、ピカソらしい…
なんか、ちょっと変わった絵のこと…

そんなイメージだった。

いつもの様に音声ガイドプログラムをお借りして装着すると、ナビゲーターは声優の三木眞一郎氏ならびに伊駒ゆりえ氏。評論家の山田五郎氏もキュビズムにまつわるトークを炸裂してくれるらしい。学生時代によく見たアニメを回想しながら、三木さんの声に懐かしさとどこか安心感を覚えた。

キュビズムとは

ジョルジュ・ブラックはマティスの影響を受けた作品を描いていた。しかしピカソが製作中だった「アヴィニョンの娘たち」を観て衝撃を受け、またそれがセザンヌを手本にしたものだと見抜いたことでセザンヌを参考に「レスタックの風景(1908)」という作品を描いた。

このレスタックの風景が元となったとされるキュビズム。目の前のモチーフを頭の中でバラバラに分解し、そのモチーフについて知っていることをもって自分なりにまた組み立てることを指す。キューブ(立方体)の様な、という所以からキュビズムという名がついたとか。キュビズムにより、絵は視覚的なものから(知能で描くという意味で)論理的なものに移行したのだそう。中でも色彩豊かなものは「オルフィスム」、立方体でなくチューブ(筒状の)のような形で描かれたものには皮肉も含めチュービズムなどとこの技法は様々な美術家たちを虜にしている。

モンマルトルのバトー、そしてモンパルナスのラリュシュはキュビズム発展には欠かせない場所だ。小さい建物に画家の卵がこぞって住まい、日々技術向上に奮闘する姿は想像するだけでどこか励まされた。

付け焼刃では理解できないキュビズム

ゆっくりとガイダンスに沿って歩みを進めるわけだが、同じピカソでもまったく違って見える絵が視界に飛び込んでくる度に脳裏に?が浮かんだ。またキュビズムという概念を多少理解したところでその一枚の絵が理解できるというものでもなく、「女性の胸像」あたりは良かったものの、「裸婦」になると素人なりにキュビズムを感じ、そして「少女の頭部」にもなってくると目が点になる。

これはどこをどう見たらそうなるのか…「若い女性の肖像」「輪を持つ少女」などを眺めているとなんだか楽しくなってくる。なるほど、知的かつ論理的な絵画だ。まったく理解できないわけではないが、結局よく分からない。絵を視覚に頼って眺めることに慣れ過ぎて、その絵が示すものを構成する中身についてなど思い返せばあまり考えたことがなかった。

すべてに迎合できなくてもいいや

浅はかな自分にため息がこぼれそうになった時、目にしたシャガールの「ロシアとロバとその他のものに」にくぎ付けになった。評論家ではないまったくの素人の目で見てもそれらが何を示しているのかが理解できるという多少の安堵と、「ぶっとんでる!」という笑いが込み上げてきた。流行に乗らなかったシャガールは画家よりも私人や文学者たちに理解を示されたという。一部では彼をシュルナチュラリスト(超自然主義)と呼んだともいわれている。

キュビズムを理解したいと思っていた自分だったが、館内を出る頃には「感性の問題かもしれない」と思い直すようになっていた。技法など事細かなことに目を向けだすときっと膨大な情報が必要になる。逆にそういう目線で一枚の絵を見るということも出来るのだと知れたのは新らしい発見だった。

やっぱり面白いな、アート。

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