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幸せを感じなくてはならない

何事にも「~しなくてはならない」という思考が強めの私です。

先日、どんな時間でも「幸福の時間」に変えることは可能と気付いたのですが、そこから「幸せを感じなくてはならない」という考えに囚われています。

庭仕事が趣味と言ってもいいんじゃないかと言うくらい、毎日毎日ちょこちょこ庭をいじって、家庭菜園で育てた野菜が食卓に並ぶんですが、みんなが憧れる「ていねいな暮らし」とはほど遠く、私はなかなかこの時間を「幸福の時間」と意味づける事が出来ないでいます

庭仕事を何の時間と意味づけているかと言えば、将来庭を愛でて喜びを感じるための「投資の時間」でしょうか?

でも、今もお花は咲いているし、将来だって庭仕事が減ることは無いので、私がこのままの私でいる限りは庭仕事が「幸福の時間」になる事はないのではないかと思っています。

広い庭があるからと言って、お花でいっぱいにする必要があるはないし、家庭菜園だってする必要はないんですよ。

私は、やりたくて庭仕事をしているのであって、庭仕事をしなくてはならないわけではない。

分かってるのに一時が万事こんな感じです。

ノートを書く時間は投資の時間じゃない。
絵を描く時間は浪費の時間じゃない。
子供とテレビを見る時間は浪費の時間じゃない。

でも、これらは「幸福を感じるべき」時間でもない。

全部本当の幸福の時間になりうる時間なんだから、時間の意味づけを変えたい。

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