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感情の大きさ

子どもの学校の運動会がありました。

中学生になると、実行委員会や生徒会の子たちが運動会を企画し、一般の生徒達はたった1週間の練習で本番を迎えます(全部の中学校がこのスケジュールなのかどうかは知らないけど。)

たった1週間の練習の成果を見せられている親ってなんなの?と思うのですが、それでも子ども達は楽しいらしく、今まで話したことのない先輩や後輩との団結なんかも生まれて、良い時間を過ごしたことが分かります。

今年は、生徒会長が所属する団が優勝したのですが、生徒会長による結果発表の時に、涙があふれてしまって、声にならなかったのです。

運動会を考える期間が1週間だった我が子とは、感情の起伏が雲泥の差だなぁと思いました。

生徒会とか実行委員とかって、確かに面倒くさい。

私も学生時代は斜に構えて、積極的にイベントごとに参加する方ではなかった。

それは今も変わらずで、何かに一生懸命になることがあまりない。

一生懸命になっている事を恥ずかしく思っているとか、そういう訳ではないんだけれど、私には似合わないと思っているのかな?

コロナ禍から出られる種目は2種目に減ってしまったかなり小規模な運動会で涙を流す少年を見て、うらやましく思ってしまった自分がいました。

一生懸命、没頭していたら、その分喜びであろうと、悲しみであろうと、悔しさであろうと、感じる感情が大きい。

私は自分自身を常にコントロール下に置いて、冒険をさせていないんだろうなぁ。

感情をもっと色濃く感じるためには、五感を鍛えて小さな変化を逃さないようにする方法ばかり目が向いていたけれど、もっとデカい花火を打ち上げるという方法もありそう。

さて、どんな花火を打ち上げたいかなぁ。

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