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2022年12月30日、元プロレスラーの ジョニー・パワーズ さんが亡くなられました。享年79。
昭和プロレスファンであれば知らぬ人はいない、新日本プロレス創成期における、アントニオ猪木 の最強のライバル役ヒールでありました。

1970年代におけるアントニオ猪木の代名詞とも言える「NWF世界ヘビー級チャンピオンベルト」は、このジョニー・パワーズから奪取したものでした。

実は、パワーズと猪木のレスリングキャリアには実に共通点が多いことが何気に有名です。たとえば、
・二人とも1943年生まれの同い年。
・二人とも公称では身長190cm以上、110kg程度の体格。
・二人とも1960年にプロレスデビュー。
・二人とも自分の団体(会社)を興した社長レスラー。
・二人とも興行の不手際から観客暴動騒ぎを招いてしまった。
・二人とも2022年没。
まさか亡くなる歳まで同じとは、どこまで因果な二人なんでしょうか。

ハッキリ言って、レスラーとしての才能は猪木の方が遥かに上でしたが、前述のとおり、新日本プロレス黎明期の「ライバル不在時代」においては、かけがえのないスター外人レスラーでありました。

後年、日本のプロレス専門誌(上述の「Gスピリッツ」)のインタビュー記事の中で、「猪木との出会いが私のプロレス人生を変えた」と明言しております。
とはいえ、得意ワザは「パワーズ・ロック」と日本で命名された「足4の字固め」くらいしかなく、あとは、無表情にパンチ、キック、レッグロックで相手を痛めつけるだけという、ハッキリ言って二流レベルの選手でした。
ちなみに、パワーズ自身は自分の得意ワザを「パワー・ロック」と自称していたとのことで、前述のインタビュー記事の中で、まさか日本では「パワーズ・ロック」と呼ばれていたことをまったく知らなかった、と答えているところが笑えます。

また、プロレス団体(NWF)を興したものの、ビジネスパートナーであった ペドロ・マルチネツ は業界でも屈指の嫌われ者だったこともあり、またパワーズ も経営手腕に長けているワケでなく、参加レスラーのギャラを踏み倒したことも少なくないようで、仲間レスラーからの評判はすこぶる悪いと言われています。
業界屈指の常識人として知られる、流星仮面ことマスクド・スーパースターでさえ、数十年ぶりに逢ったパワーズに対し、胸倉をつかんで恫喝したとの逸話が有名です。
まあ、お金に無頓着という点も猪木と似ている・・・と言ったら失礼か。

いずれにせよ、アントニオ猪木、そして新日本プロレスにとっては忘れられない、最初期のエース外人レスラーでした。
今ごろ、天国で猪木が「いい加減、オレにつきまとうのはやめろ!」と言っているかもしれません。

死神と呼ばれたインディペンデント・レスラーに合掌。

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▼IMFORMATION
● 月イチ定例やまぼうしライブ
  ※2020年4月から当分の間、中止とします
会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし   
住所 静岡市葵区辰起町8-17 電話054ー271ー1602
料金 500円 (ワンドリンク付き)
▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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