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11月の最終日、独りごちる。

11月が慌ただしく過ぎ去った。
私にとって11月・12月は繁忙期で、酒蔵の取材が続く。
秋田へ、福岡へ、岐阜へと、毎週どこかへ出張していた。

11月から「体調日記」をつけている。
「日記」といっても、痛み、睡眠、食欲について簡単に箇条書きでメモする程度のものだ。
1か月分を振り返ってみると、「不眠」は毎日だが、「痛み」は「ほぼなし」の日がほとんど。「食欲」はだいたい毎日ある。
数えてみると、何もできないほどの強い痛みがあったのは、4日間だけだった。
随分元気になったなぁと思う。
出張取材も問題なく行けた。出張先ではクライアントやカメラマンと一緒に少しはお酒も楽しめた。たくさんしゃべって、笑った。

「何も変わっていない。大丈夫だ」

昨日は2日間にわたる岐阜での取材から帰ってきた。
家の最寄り駅の改札を出ると、風がすっかり冬のものに変わっていた。
震えながら歩く。
今年はなかなか寒くならなかったから、駅周辺のもみじがいつまでも紅く染まらない。
紅いもの、オレンジ色のもの、まだ青いもの。
見上げると傾きかけた太陽の光が葉に当たり、そのグラデーションが妙に美しい。
美しいものを見ると、胸がきゅんとするのはなぜなんだろう。

「美の喜びに苦痛すら覚える」

敬愛するモンゴメリの作品の大好きな言葉を独りごちる。
そういえば、「独りごちる」という言葉を知ったのはいつだったか。確か大学生の時に読んだ鷺沢萠さんの小説だった。
新しい言葉を知ると使いたくて、その頃自分で書いていた小説の中でよく主人公に「独りごち」らせたものだ。

そんなことを考えながら、パソコンの入った重い出張鞄を担いで、疲れた足を引きずって、家までの坂道を歩く。
坂道の横のもみじは真っ赤に染まり、もうほとんど散ってしまった。
私の横を枯れ葉がカラカラと乾いた音をたてながら転がっていく。
そんな音さえ愛おしくて。

大丈夫だ。
まだ生きている。
今日も生きた。
明日もきっと生きられる。
今年の春頃はあまりに弱ったので、もうそろそろ逝ってしまうのかと思ったが、夏を越え、秋を越え、冬を迎えたじゃないか。
気がつけば、もう師走だ。
私は今年を越える。

「取材、楽しかったなぁ」
「紅葉がきれいだなぁ」
「木枯らしが冷たいなぁ」
そんなことを独りごちるだけで、涙が出そうになる。
これまでと何も変わらない日常が、逆にいつも私をせつない気持ちにさせるのだ。この日常がとても愛おしくて、守りたいものだから。
歩くリズムに合わせて、大丈夫、大丈夫、と何度も自分に言い聞かせる。

帰宅すると、ハーゲンダッツのアイスを食べた。
頑張った自分へのご褒美。幸せなひと時だ。

さあ、今日から12月。
取材も一通り終えたし、これからしばらくは原稿に向き合う日々が続く。
一番好きで、一番苦しくもある時間。

「良いものが書けますように」

独りごちた後、祈るように私は書く。

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