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原稿の追い込みは、自らホテルでカンヅメになってみた(後編)

ホテルでカンヅメ生活2日目。
朝ドラを見てから、楽しみにしていた朝食ビュッフェへ。
平日ということもあり、それほど混み合っていなかったので、ゆっくり選ぶことができた。

私は健康のために、朝ごはんは基本的に「人参と大根のすりおろし」と「小豆昆布」しか食べない。(もしくはりんごなど)
でも元々は「朝と昼はいくらでも食べられる」と豪語していたくらい大食いなので、こういう自分ルールでの「食べたい物を好きなだけ食べてよい特別な日」は嬉しくて仕方がない。
とはいえ、やっぱり野菜を多めに摂ろうという気持ちが働いてしまう。

サラダのコーナーに行ってびっくり!「○○のサラダ」のようなものだけで5~6種類はある!それ以外にも単品でブロッコリーやミニトマト、コールスローなども。

※公式サイトから拝借しました

和食・洋食ともに充実していて、パンもおいしそうなのが何種類もある。いろんな種類を少しずつ食べられるようにとの配慮か、スライスしてくれているのもありがたかった。
悩みながら、とりあえずサラダを多めに盛り付け、あとはサンドイッチ類と揚げ物を少し。

大皿1枚にはいろんなサラダを盛ってみた。

まさかこれで終わりではなく、この後は味噌汁と炊き込みごはんを食べ、フレンチトースト2枚とケーキ2個、フルーツ、コーヒーで締めた。

焼き立てのフレンチトーストが3種類並んでいて、生クリームやベリー、あんこ、メイプルシロップなどのトッピングも自由にできるのだ。

公式サイトから拝借したイメージ画像

口の中が痺れるくらい甘すぎるものじゃないと「甘い」と認識できないくらい甘党の私は、ここぞとばかりに思い切りメイプルシロップをぶっかけて、大量の生クリームを乗せた。

あー、満足♪
これよ、この甘さよ♪

久しぶりに朝から大量に食べ、甘いものを口にして、最高にゴキゲンで部屋に戻り、仕事開始。昼ごはんはコンビニで済ませ、17時半まで集中した。

集中はできたが、思っていたほど原稿は進まなかった。
夜はどこかに食べに行きたかったが、そんな時間はなさそうだったので、またホテル1階のレストランバーで、無料のドリンクをもらって食事をすることにした。

無料ドリンクの赤ワインと生ハム
鯛とあさりと野菜の白ワイン蒸し

おかわりをしようとドリンクメニューを見ると、日本酒があった。
京都らしく、「月の桂」のにごり酒があるほかは、少数精鋭のラインナップだ。「黒龍」「磯自慢」「写楽」「みむろ杉」「獺祭」どれも120mlで500円と書いてある。
鯛の料理と合わせたかったこともあり、「磯自慢 大吟醸」を選んだ。

おいしいこともあるけれど、なんだかリラックスしているのはどうしてだろうかと思ったら、音楽だった。
このレストランバーのBGMはどうやら生演奏と決まっているようで、そういえば昨晩はピアノだったと思い出した。正直、あまり心には留まらなかったのだが、この日はギターを弾く男性で、このギターの音はとても好きだった。

私が案内されて座っていたのが窓際の席で、店全体を見渡せるというのも良かったのかもしれない。
私はお酒を飲みながら、ゆったりとギターに耳を傾けていた。
こんなふうに生演奏を聴きながらお酒を飲むなんて、いつ以来だろうか。

ギターの生演奏をただ聴きながら、一人でお酒を飲んでいるというこの状況が本当に心地よくて、自分の感受性が一気に開いていくのを感じていた。
ごくごくたまに訪れるこの瞬間。
目に映る世界の色がゆっくりと変わっていくのだ。

私から見て奥のほうの席はテーブル席で、夫婦や親子のような「家族」ばかりが座っていた。
それぞれのテーブルの上にともる灯りを見ていたら、ふっと高校1年生の夏を思い出した。
あの夏、私は生まれて初めてのアルバイトで、近くのファミレス(ステーキハウス)でウェイトレスをしていたのだった。
お客さんはみんな家族連れだった。
ああ、そうか、世の中の家族はこういうところに食事に来るんだなぁと初めて知った。私にはそういう外食の経験がなかったのだ。
横から見ていると、それぞれのテーブルが「家」みたいだった。いろんな「家」の食事風景を同時に見ているようだった。
その上にともる灯りがあたたかくて、まるで家族を照らす愛みたいだった。
私もいつかあの灯りの下に座りたいなぁと、いつか絶対に「灯りのともる家」で暮らすんだと、16歳の私は自分に誓った。

ギターの優しい音を聴きながら、談笑しながら食事をする家族と灯りを見て、そんなはるか昔のことを思い出していた。
なんで急にこんなことを思い出したのかなぁ、油断したら涙が出そうだと、感情が高まるのをぐっと抑えた。

ギターの人に目をやる。彼はどんな想いでここにいて、ギターを弾いているんだろう。
演奏はあくまでも店のBGMなので、特に自己紹介や曲紹介をするわけでもないし、お客も拍手などしない。それどころか、ほとんど誰も意識して聴いていない。話したり、スマホを見ていたり。
でも、きっとこれがBGMとしての正しい役割で、食事や会話もそっちのけで聴き込んでしまうほど主張するような音楽だったらダメなんだろうとは思う。彼は、彼の仕事を全うしていた。

ふと「文化的雪かき」という言葉を思い浮かべた。
もしかしたら、彼も「文化的雪かき」をしている人なのかな、と。本当はビッグなミュージシャンを目指していたことがあったのかもしれない。BGMを奏でたかったわけではないのかもしれない。
そうだとしても、私には、心のこもった演奏に聴こえたし、彼が楽しんで弾いているようにも見えた。
それに、私は「彼の音楽」のおかげでとても素敵な時間を過ごすことができている。それなら、これは誰かの心を動かすことができる素敵な「文化的雪かき」だ。

そう思ったら、また泣きそうになった。ああ、もう本当に嫌になってしまう。このヘタレ具合。
最近、仕事をしながら何度も何度も思いそうになっていた。「誰がやっても変わらない仕事。でも、誰かがやらなきゃいけない仕事」だと。
時間をかけて、何度も推敲して、完璧だと思って提出しても、ダメ出しをくらい、無慈悲にも朱書きを入れられ、いつも簡単に削除される。
「私はたたき台を作っているわけじゃない!」
何度もそう叫びたくなる案件があって、そのことに随分と疲弊していた。単純に悔しかった。
でも、店のざわめきの中でもギターの人が楽しそうに優しい音を奏でているのを聴いたら、ここ最近自分の中でモヤモヤとしていたものがきれいに晴れていくのを感じた。

自分が、その瞬間瞬間に、どう生きるか、だ。

評価や結果は、私の頑張りや仕事のクオリティとは関係ないものだ。
だって、世の中にはいろんな考えと感性の人がいて、いろんな立場があるのだから。頑張ったって、良いものを作ったって、NOを突き付けられることはある。

でも……、いや、だからこそ、目の前のことを全力でやる。
突き付けられたNOに対して身を切られるほど苦しくて悔しいのは、私が全力だったからだ。苦しくなかったら嘘だ。そんな仕事ダメだ。

だから、これでいいんだ。
そう思えたら、なんだかホッと安心して、またがんばろうと自然に思えた。

優しいギターとお酒に後ろ髪引かれながらも、1時間ほどで部屋に戻って原稿の続きを書いた。
翌朝、また朝食ビュッフェでたっぷりおいしいものを食べ、チェックアウトの11時ギリギリまで仕事をして帰宅した。

やっぱり来てよかった。カンヅメ生活も悪くない。非日常の空間は、自分を見つめたり気持ちを整理するのにいいようだ。
またいつか、気分転換に利用しよう。

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