見出し画像

言葉に埋もれて暮らしたい

なぜか2月に入ってからずっと予定が詰まっていて。
基本的に、活動できる時間が人の3分の1くらいなので、たいした活動量ではなくてもいっぱいいっぱいになる。
疲労がたまってきたのか、ストレスなのか、ここ数日は痛みがひどく、薬を増やすものだから眠くてたまらないし、毎日家の中を這いずるようにして生きていた。(比喩でなく)

こんな時に限って、仕事がややこしいものがあって、その原稿がなかなか終わらない。
音源データから、ある企業の社長インタビューの記事を書いてほしいという案件だった。私は自分で取材しないでいい記事が書けるとは思えないので滅多に受けないのだが、何度も断り続けていた取引先だったので、申し訳なくて受けた。
音源データを聴いてみると、それがあまりにもお粗末なものでびっくりした。
的はずれな質問が続くかと思えば、「そこ深掘りして!」と言いたくなるところで質問を切り上げる。
最後のほうはしどろもどろで、取材を受けている社長も「ん?」「はぁ」という感じ。変な空気が流れているのが音声だけでわかるほどだった。

聴き終えて頭を抱えてしまった。
これでこの人は自分ならどんな原稿を書くつもりだったんだろう。
ライターがどうにかしてくれるとでも思ったのか?

はい。
どうにかします。
どうにかするしかないのだから。

仕方なく、この社長の企業ホームページや経営計画を読み込み、リクルートページにあった新卒の学生さんへのメッセージ動画や、ネット上にある他の媒体のインタビュー記事などもすべて探して頭に入れた。もうそうするしかない。
かと言って、何かをコピペすることもできないし、この音源データを活かしたものにしなければならないので、そこからはテクニックというか、要領の世界。
社長さんの思いや人となりを知ったうえで、少ない材料を駆使して膨らませて書いた。

なんとかなった。

だけど、報酬金額を3倍にしてほしいと思うほど、時間と労力がかかった。

他にもいろいろ予定があって、私が毎日動き回っているから、夫がいよいよ心配し始めた。
動き回っていると言っても、「3分の1」だから、残りはぐったりしているか、痛みでうんうん唸っているか、お腹を押さえてふうふう言いながら用事をしているか、なわけで。
夫も忙しくしているから、家事をさせるのも申し訳なく、気合いを入れて餃子を作ったりもしてみた。(夫は餃子が大好物)
私がすごい形相で、はぁはぁ言いながら餃子を包んでいる姿を見たら、みんな止めに入ったんじゃなかろうか。
それでも、夫が目を細めて「うまい〜!たまらん!」と食べているのを見たら、頑張って良かったと思う。じんわりする。本当はもっといろんなことをしてあげたいのに。

そんな絶望的に調子が悪い状態で、昨日は4か月ぶりのCT検査を受けた。
笑って元気な状態で受けたかったのに。
待ち時間もお腹が痛くてたまらない。
CTは予約制だからそれほど待たないが、その後の採血は60人待ちだった。

バレンタインデーなので、夫のために美味しいチョコを買って帰りたかったが、とてもそんな余裕はなかった。
駅の構内にあるミスドで、GODIVAとのコラボドーナツを購入。今年はこれが精一杯。

それでも、帰って夫に渡すと喜んでくれた。
もし夫が犬だったら、キャンキャン鳴いて、私のまわりをクルクル回って足にすり寄るくらいの喜び様だった。

ホッとして、昼ごはんを食べて、それからずっと私は寝ている。
今もソファで寝ながらスマホでこれを書いている。
ようやくいろんなことが一段落したので、少し休みたかった。
noteも書きたいけど、それより本が読みたかった。言葉に埋もれたかった。
砥上裕將さんの『一線の湖』を一気読みした。前作『線は、僕を描く』の続編だ。いわゆる「続編」とか「第二部」とか「外伝」みたいなものって、期待外れのことが多いのだが、これは前作を凌ぐほど素晴らしかった。
音楽を漫画や小説で表現する作家もいるが、水墨画を言葉でこんなふうに表現できる人がいるのだと感動する。墨の一滴一滴が自分の目の前に現れ、色の濃さも薄さも、繊細な線も大胆な線も、美しさを決める余白までもがリアルに想像できる。自分の中で絵ができあがっていくのは快感だった。
美を知っている作家さんなのだなと思う。

私は本を一気読みするのが好きだ。
集中力だけは自信があるので、完全にその世界に入り込むことができる。久しぶりに言葉の海にぷかぷかと浮いてみたり、揉まれてみたり。幸せな時間だった。
良い文章を書くためには、もちろんたくさん書くことも大事だが、良い文章にたくさん触れることも大事だといつも思う。
今日は美しい言葉にたくさん触れて、その世界に没頭して、少しだけ恢復できた気がした。

痛みに耐えて暮らしていると、時々すべてが嫌になってしまう。
あまりに辛い日が続くと、「もうそろそろ死ぬのかな」と呟いて、夫に叱られる。
でも、美しい言葉が、私を救ってくれる。
癒し、というのは、こういうことなのだと思う。

少し前に、私がまだ駆け出しのライターの頃、よく一緒に仕事をしていたカメラマンTさんから「今日、Kさんと飲むんですが、体調が良ければ来ませんか?」と連絡をもらった。Kさんも別の媒体で10年くらいは一緒に仕事をしてきたカメラマンさんだ。(関西のクリエイター業界は狭いので、何かしら繋がっていることが多い)

久しぶりだったし、行きたかった。2人に会いたかった。以前の私なら飛んで行っただろう。でも、ソファで寝転んだまま断りの返信を送った。

今日はKさんから、クライアントの営業さんと飲むんだけど、体調良ければ来ませんか?と連絡があった。
また私はソファの上で、寝転んだまま断りの返信をした。

ちょっとだけ泣いた。
何の涙かよくわからない。
もう一緒に仕事をしていない人が、声をかけてくれることが嬉しかったし、行きたいのに断らなければならない自分が悔しかった。

こんなことがどんどん増えていく。
淋しい。

来週は検査結果が出る。
なんとか3月まで取材も頑張りたかったが、どうなんだろう。北海道の取材が入っているけど、行けるのだろうか。
それ以前に、今月はまだ秋田へ出張がある。
なんとかそれだけは行きたい。
痛み止めを増やせば、まだなんとか動けるし、仕事もできる。
まだ大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。
でも、本当は検査結果が怖い。
心が穏やかでないから、今日のnoteはなんだか支離滅裂になってしまった。

今日はこれからもう1冊本を読もう。
現実逃避。
ずっと言葉に埋もれていたい。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?