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「OK」じゃない自分で「OK」なんだ。

「生きるのが本当に大変な人やよな」

これは私が何度も何度も夫に言われてきた言葉だ。
決して意地悪口調でもバカにしているのでもないが、少しの憐憫と愛しさとを込めて、あきれたように夫は言う。

私にとって人生は「非常事態」の連続だった。
いや、本当に何か大変なことが起こったわけではない。
私は日常の小さなことを「自分自身で非常事態にする」天才だった。
アメリカ人なら「オーマイガー!」を連呼するような毎日。(知らんけど)
「赤毛のアン」なら「人生でもっとも悲劇的な気分だわ」と嘆く毎日。(これは本当にそう)
とにかく完璧主義のくせにできないことが多く、自分の些細な過ちや失敗を許さず、そんなに深く考えなくてもいいようなことをあれこれ考え、落ち込んで自分を責め、いつも自分の中で非常事態を創り上げて生きてきた。

そんな私を解き放してくれた本がある。
リチャード・カールソンの『小さいことにくよくよするな!』だ。

単行本発行:1998年

読んだのはもう20年近くも前のことになる。
某企業の社内報を制作していた時に、その企業の役員のおすすめの本を紹介するコーナーを担当していて、挙がってきた1冊がこれだったのだ。
レビューを書くのに読まないわけにはいかないので、いわば「強制的に」読んだのだが、読んでいる途中からこれまでの人生が180度変わっていくような、そんな気分になっていた。

タイトルのように、簡単にいえば「小さいことにくよくよする人」に向けて、どうすればくよくよしないで済むか、という指南本のようなものなのだが、「え?私のことですか?私に向けて書いてます?」と聞きたくなるほど、私が人生でずっと悩んできた「自分のダメなところ」が書かれてあって、それを「治す方法」がわかりやすい言葉で説明されていたのだ。

たとえば、先述した「非常事態」の話。

●022●「人生は非常事態ではない」ととなえる

三人の子供がいる専業主婦のクライエントが私にこう言った。
「朝みんなが出ていく前に、掃除や家事をすべて、すませることができないんです」
自分の能力のなさをなげく彼女のために、かかりつけの医者は鎮静剤を処方した。彼女は皿やタオルを片づけるたびに、さっさとやれと頭にピストルをつきつけられるか狙撃者にねらわれているようだと感じていた。つまり、これは非常事態だと自分で思っていたのだ。そのプレッシャーをつくり出したのはほかのだれでもない、彼女自身である。
(中略)
その非常事態をつくっているのは自分だと認める謙虚さをもつこと。これが心豊かにな人になる第一歩だ。自分の計画どおりにいかなくても人生は進んでいくものだ。
「人生は一大事ではない」とたえず自分に言いきかせるにかぎる。

本書P67~68

この引用文を読んだ時に心に響かない人は、きっと人生を非常事態に仕立てないタイプの人だ。私の夫がまさにそうで、本当に羨ましいと思う。
それどころか彼は本当の非常事態――仕事での大きな失敗――でも、笑いながら私に「今日、俺が報告書読んだら、クライアントは思ってたのと全然違ったみたいで、変な空気になったわ」と言って、冷蔵庫からビールを持って来てプルトップを開ける。それで終わりだ。

聞いた私の方が「え?大丈夫なん?」と心配になるし、もし自分がその失敗を犯したら……と思うだけでぞっとする。
私ならその10分の1の失敗――おそらく多くの人にとっては「失敗」のうちにも入らない出来事――でも、この世の終わりみたいな顔をしてくよくよして、誰も知らない過去の失敗まで自分でほじくり返し、「あの時もそうだった、だから私はダメなんだ」と自分をいじめ抜き、「ああ、もう私はダメだ。この業界から干されてしまう」とソファのクッションに突っ伏してしまうに違いないのだ。
(きっとこれを読んでいる何人かは、「私も同じ」だとうなずいてくれていると信じている。)

こんなだから私は夫に「生きていくのが大変やな」と言われるが、それでもこの本に出会ってから、随分マシになったのだ(これでも)。
「人生を非常事態にしているのは自分自身だ」
そう気づいてから、「予定や計画が達成できなかった日」や「少しサボって怠惰に過ごした日」や「ちょっとだけ仕事でミスをした日」でも、まずは非常事態にせず、自分自身を責めたり追い詰めたりしないように心がけるようになった。

この本には他にもいろんな「答え」が載っている。私が欲しくてたまらなかったけれど、誰も言葉にしてはくれなかった「答え」だ。

「自分の正しさを主張するより、人とうまくやったほうが幸せだ」

これは「人生は非常事態」の次に衝撃の答えだった。それくらい私は「正しさ」を主張し、そのために人とうまくやれないことが多々あった。
夫は私と何か言い争うと、
「正論という国があったら、かおりはそこの王様になれるよ」
と言う。まるで村上春樹の小説みたいに。

「自分の意見」を貫きたいんじゃない。私は「正しいこと」が好きなんだ。すべては「正しい」か「正しくないか」で動くんだ。
そう説明しても理解してもらえない。
夫は「やれやれ」という表情で、「かおりが正しいのはわかってる。でも、人って、正しいだけでは動けないこともあるやろ?」と言う。
昔の私なら絶対に正しさを譲らなかったが、今は心のどこかでムズムズしながらも、この本の言葉を思い出して自分自身に問いかける。
「私は正しさを主張したいのか、幸せになりたいのか、どっちだ?」
答えは後者だと思い直し、彼が「正しいことが何かを知りながらも、そうしか動けなかった理由」へ想いをめぐらせる。そうしたら、たいていの場合、物事は平和に解決した。私の心も穏やかになった。
そうか、正しさを主張するよりも、人とうまくやるほうが幸せなんだな、とこの時知った。

「私、この本を読んで、ようやくこういうことがわかったんよ」
ある時、夫に自慢げにその話をしたら、彼は大げさに「はぁ~」とため息をついて、ちゃんと憐れむような眼で私を見て言った。
「かおり、世の中の人はだいたいみんなわかってる」
同じ話を友達にすると、やっぱり言われた。
「え?今頃そんなことを?」
もう35歳を超えていた。随分遅い学びだった。

でも、他にもこの本から学んだことがたくさんある。
特に好きな言葉で、いつも自分の支えとなるのはこの2つ。

私はOKじゃない。あなたもOKじゃない。それでOK。
客観性を失わず、自分にやさしくすることを忘れなければ、たとえ失敗ばかりしでかすとしても、たいていは幸せな人生を送れるだろう。

失敗だらけの自分にOKを出してもいいんだと知った。
OKを出してOKなんだ、と言い聞かせるようになった。

ジョン・レノンはこう言った。
「人生は、ぼくらがほかの計画を練っているあいだに過ぎていくんだよ」
人生を来るべき本番の舞台稽古でもあるかのように生きている人が多い。そうではないのだ。
私たちにはいましかない、コントロールできるのはいましかない。
いまこの瞬間を意識する練習をすること。その努力が生き方を左右する。

どうにもならない心配事でいつも頭を抱えて生きていた。
そうしている間に、貴重な人生が過ぎていくことにも気づかずに。
「いまこの瞬間」が人生の本番なのに。

そういった様々なこと(おそらくは多くの人が自然に身につけていたこと)を、私はこの本で学び、そして、実際に「それを自然に実行できるからこそ、幸せに生きている人」を間近で見た。夫だ。
完璧でない時も、夫は自分自身にやさしい。私はそれを最初は「自分を甘やかしている」と非難していた。でも違った。ダメな自分にもOKを出せる人だから、私にもまわりの人にも完璧を求めず、やさしいのだ。
夫は失敗をくよくよしない。そんなもの1杯のビールで流して、いまを楽しんで生きる。ちゃんとくよくよしないことを怠惰だと思っていたが、「そうではない」とやっと理解した。だって、流した後はまた努力して、ちゃんと取り返している。

人生って不思議だなと思う。
30年以上積もり積もってガチガチに固まっていた私の思いこみが、本の言葉や人の生き方を見て、溶けていくのだから。
人や物との出会いがどれほど大切かわかる。

といっても、まだ時々私は人生を非常事態にしてしまうし、正論の国の王様になるし、完璧主義で自分にOKを出せないこともあるし、心配事を自分で増やしてしまうこともある。
「生きていくのが大変やな」と言われてしまう。

そう。
でも、今は思う。
そんな私でOKなんだ。


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