義務教育の子供の権利について。核心的なことに気づいた。

今日次男が学校を休んだ。
実は先週から学校がしんどい、行きたくない、と毎朝言っていたので、来週の木曜日に休もうと、私と計画していた。

無理して行かせると大変なことになる。
という経験が、長男であるので、私は無理はさせたくない。

だけど私も昭和の人間。

義務教育は行かないといけない。
熱がないと休めない。
我慢を覚えさせる必要がある。
行かないと認めたら甘えて結果、その子のためにならない。

そういった自分がされてきた教育が頭にこびり付いている。
夫もそういうことを言う。
だからずーっとずーっと葛藤してきた。

長男が自閉スペクトラムと診断されて、精神科に通い、学校は無理しなくてもいいと思うようになり、長男の不登校を認めるようになった今でも、その葛藤がなくなったわけではない。

次男は我慢ができるし、障害があるとも思わないし、学校がそこまでしんどそうでもないし、行けるなら行ったほうがいい。

そう思うから、なるべく行かせてきた。

でも、無理もさせたくない。
診断してもらったワケではないが、次男も長男に似たところもある。
言わないだけで、、相当無理をしているのかもしれないし。

そんな葛藤の末の、時々2週に1回程の、休みを設けるアイデア。
たまに休んで、その代わり毎日行かなくなるのを回避する。

それで休んだ今日、家ではまじめにドリルやプリントをして、勉強をして、ゲームもテレビも見ず過ごすルールも決めた通り守り、偉い次男!

夕方、担任の先生から電話があった。
この先生は、前から私の危険人物センサーに引っかかりまくりの人。
実際、私は次男が学校行きたくない原因は8割がたこの担任のおばさんのせいだと思っている。
定年退職したのに学校が好きだからと言って再任用でまた担任を持ったと言っていた。


風邪気味という理由で朝電話していた為
「体調はどうですか?」と聞かれ、

「実は、大したことはないのですが…」
と答えた。今思えば、素直に話してしまったのがいけなかった。

「最近、学校を嫌がるので、実際にくしゃみも出ていましたし、今日は休ませました。明日からはまた行けるようにと思って。」

そしたら、急に。
「やりたくないことはやらない、やりたいことだけやる、というのはどうなんでしょう。」という言葉。

「そんなにやらない事が多いんでしょうか?」
と聞くと、
やらない事が多い。自分の好きなことしかしていない。
掃除も頑張っていない、姿勢が崩れる、など、出来ていないという事をどんどん言われ。

でも、この前トイレ掃除頑張ったって言ってたけどな…。宿題も毎日しているし、連絡帳も書いてるし。テストも返ってくるけど、点も悪くないし。毎日学校行ってるだけでも、十分頑張ってると思うんだけどなぁ。

そういう事も言ってはみたが、この先生は、自分の言いたいことを言うために話すことしかできない人。
私の言う事を聞いても、自分の主張に持って行く。私の質問には答えない。

30分以上地獄の時間が過ぎた。
できていないところを並べられただけ。

結局あの先生はどうしたいのか、うちの子ができないところがあるなら、それをどう導いてくれるのか、なにもわからなかった。

結局、親にどうにかしてよと言いたかったのか?

電話を切った後も、疲れとモヤモヤが収まらない。

あのおばさんの言っていたことを考える。
「やりたくないことはやらない、やりたいことだけやる、っていうは、どうなんでしょう?」

どうなんでしょう?とこっちが聞き返した。先生はどう思われますか?と。
でも答えなかった。話を変えられた。

改めて考えると、確かにそういうところはある。うちの子達。
でも誰でもそういうところはあるよね。
で、全くやりたくないことはやってないかと言うと、絶対にそんなことはない。

でも、嫌なこと、やりたくないこと、何となく気分じゃないことを、
「でも学校だから」とか
「先生が言ってるから」とか、そう思えて

「やらないといけないんだ!」

と思えるかどうか。そう思える他の子と
比べて、うちの子達はそれがなかなか思えないという事はあると思う。

でもそれって、その人の個性というか
体質によるものだと思う。
私も、そんな性格。
やりたくないことはなるべくやりたくない。
合わない人とは関わりたくない。
それって当たり前だけど、もし頑張ってそれをやった場合のダメージ具合がだいぶ大きい方なんだと思う。
頑張ったらやれるけど、無理してやると物凄ーーく疲れる。

だから、体質的にその防御反応として、やりたくないことを無理してやらないほうがいいと、判断しているのかも。
心が拒絶反応してる。

アレルギーのようなものだ。

これは完全に私譲りの性格、体質だし
そういう人間もいる。
正に、だから発達障害とか言われているものがあるのだ。

ただ、障害と診断がつくかどうかは
その程度によるものと、精神科に行ったかどうかだけで、
診断されていなくてもそういう人間はいるのだ。実際に。

そして、診断をされててもされて無くても、行かなきゃいけないのが義務教育。

子供はこの学校を自分で選んだわけでもない。勝手に決まっていたところに、行かないといけない、と言われて、そう思わされて、行っているのだ。

さらに、特別支援学級に入るには、障害という診断がいる。

診断がない子は、普通のクラスに。
先生は、一人一人を見る余裕もない。
出来ない事を問題視するだけで、できるようにするアイデアも工夫もない。

そんな場所に、「行かなければいけない」と思い込み、「全部一生懸命やらなければいけない」と思い込める子達。
または、なにも考えてないけど、学校は友達がいるから楽しいと思える子。
また、先生はこうやってほしいんだということをわかった上で合わせられる子。

そんな子達は問題ない子、と思われているのだろう。

はっきり言ってうちの子供達は、賢い。
何となく嫌、を言えた。気付いた。

いやいやでも、気付いた上でも、やはりやらないといけない事は教えないといけないのでは?

そう思う。やらないといけないことはある。

でも。

やらないといけない事ってそんなにあるのだろうか?

本当にやらないといけない事って?人生において。

自分の掃除洗濯と、仕事、いっしょにいる人への思いやり。
それくらいでは?

そもそも、、子供が自分で選んで入ったわけでもない義務教育だからこそ。学校で

子供はすべての課題をやらないといけないとダメなのか?

子供にやりたくないことをやらない権利はないのか?

子供に休みたい時に休む権利はないのか?

やりたくないことをやらないけど学校に行きたい場合は、そうする権利はないのか?

考えてみたら、疑問である。
本当に、おかしいけど、これらの子供の権利に気づいて、それが認められていない現状に甘んじていることが。

大人たちは、そういう権利を持たずに子供時代を過ごして来たから、気づきもしなかったのだ。

でも不登校が問題ではないと言われるようになったこの頃。
「行かない権利」は結構認められてきている。

行かない権利はある。だからこそ長男は不登校になっても認められているのに、
行っている次男にはやりたくないことをやらないことがあるというだけの権利も認められないのか?

2年生の時、長男が言った。
「学校は行かないといけないって決まってるのが納得できない。」

「みんな、洗脳されている。」

そんな言い方は悪い、学校は生きて行くのに必要なことを学べる場所、
行ったほうがいい事があるから行く所、行かなくていい、と言う親は、子どもの為を本当に考えていないと思うよ、などと言ってさとした覚えがある。

今更ながら、長男の言っていたことは本当に的を射ていたな…と思い知る。

次男はやりたくないことをもう十分やっています。
やっているところを見てやってください。
やりたくないことも全部やって当たり前ですか?
大人は選んでいませんか?
やりたくない、やらないには理由があります。
あなたには見えない理由かもしれませんが。
それでもやれるような、やりたくなるような工夫を、考えてもらうわけにはいきませんか?
それには特別支援クラスに行かせないといけませんか?
先生が合わないから学校に行きたくないのかもしれませんが、担任を変えられないので、時々休んだり、やらないときがあるのは認めてもらえませんか?
子供にも、仕事ではない、義務教育だからこそ、その権利があると思うのですが。

今度、担任と話すときはそう言おう。
あの先生にかかった洗脳も、解いてあげよう。
時代は、進歩しています。

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