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桐文様の秘密:歴史から現代へ伝わる高貴な魅力

桐文様は、器や着物などにおいても特に季節を問わず通年用いられる図柄です。自然界で桐の花が咲くのは初夏の5~6月で、それはそれは清々しく上品な紫色をしています。
日本の伝統と文化の中で、特別な位置を占める桐文様。その優雅なデザインは、古くから皇室や貴族に愛され、現代でも多くの人々に親しまれています。この記事では、桐文様の豊かな歴史、その意味、バリエーション、そして現代における桐文様の魅力について探ります。


はじめに

桐文様は、日本の伝統的な図案のひとつであり、高貴な身分に好まれるデザインとして知られています。その起源は古く、平安時代にまでさかのぼることができます。桐の花の清楚で上品な紫色は、古来より特別な色として珍重されてきました。(聖徳太子が定めた「冠位十二階」で、色の最上位は「紫」とされていたことから、古くから紫色を特別なものを連想する風潮があったことが様々な方面で影響しているのだそうです。)
この記事を通じて、桐文様の歴史的背景とその深い意味を、一緒に探っていきましょう。

© antique blue Parrot Co.,Ltd.

歴史

桐文様の歴史は、812年、嵯峨天皇が 重要な儀式に使う御袍(ぎょほう)の色と文様を制定したことに始まります。この御袍は、特別な色と文様を組み合わせたもので、当時の法令により厳密に定められてもいたそうです。使われていた文様は「桐」、「竹」、「鳳凰」、「麒麟」の四種類。中でも桐と竹と鳳凰を組み合わせた「桐竹鳳凰文」は、以後特別な文様として広く認識されるようになりました。
のちに、足利尊氏や豊臣秀吉といった歴史上の人物が桐紋を使用し、桐文様は高貴な象徴として受け継がれてきました。この背景には、桐が吉祥をもたらす木であるという信仰も関わっています。

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縁起

桐文様は、瑞鳥である鳳凰が梧桐にしか止まらないという中国の伝説に由来します。日本では、この伝説が受け継がれ、桐文様は花言葉「高尚」が表すように高貴さや清純を象徴する図案となりました。また、女の子が生まれると桐の木を植え、その木で箪笥を作る風習があったように、桐は人生の節目や重要な意味を持つシンボルとして用いられてきました。

バリエーション

桐文様には、「五三の桐」「五七の桐」だけでなく、桐の花が揺れ動くように描かれた「踊り桐」や秀吉が考案した「太閤桐」。他にも「鬼桐」「蝙蝠桐」や「利休桐」「光琳桐」、「花桐」「桐揚羽蝶」「桐車」などなど… 実に100種以上のバリエーションが存在します。それぞれの図案には独特の美しさがあり、家紋や文書、調度品や装飾品などさまざまな場所で用いられています。これらのデザインの中には、桐の花や葉をモチーフにしたものも多く、日本人の美意識や自然への敬愛が反映されています。

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さいごに

桐文様は、室町幕府では小判などの貨幣に刻印されていましたが、現代の私たちの身近なところでじゃ、日本国のパスポートの顔写真の部分や、500円硬貨にも応用されています。まさに古代から現代に至るまで、日本のシンボルとして敬われ愛されてきた文様なのです。その歴史や意味を知ることで、桐文様に込められた願いや美しさをより深く感じることができるでしょう。

桐文様は、陶磁器はもちろん、漆器や、浮世絵版の着物の図柄などにも見るけることができます。蕎麦猪口や小皿、重箱やお椀など どれをとっても、色や形などの要素に加えて、桐文様という図柄が全体を格調高く仕上げていることを感じていただけるはずです。


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