見出し画像

10/31 ディボーション 幸いな人 ガラテヤ人への手紙 3:1-14

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-14

"ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。
これだけは、あなたがたに聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
あなたがたはそんなにも愚かなのですか。御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。
あれほどの経験をしたのは、無駄だったのでしょうか。まさか、無駄だったということはないでしょう。
あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で力あるわざを行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも信仰をもって聞いたから、そうなさるのでしょうか。
「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。
ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。
ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。
律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにあります。「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。
律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。
律法は、「信仰による」のではありません。「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる」のです。
キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。
それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。"
ガラテヤ人への手紙 3章1~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

最初に示されたこと

律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにある。「律法の行いをすべて守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからである。しかし、キリストがご自分でのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださった。「木にかけられた者は、みなのろわれる」と書いてあるからである。アブラハムによってすべての異邦人が祝福されるとは、キリストによって異邦人に及び、私たちが信仰によって御霊を受けるためである。このことがわからない者は愚かである。御霊によって始まったクリスチャンは信仰によって生きる、その人々こそがアブラハムの子である。アブラハムが信仰によって義と認められたからである。肉によっては完成されない。肉によって完成を求める者は未だのろいのもとにある。その者は真に救われていないのだ。救われる者になりなさい。

内容のまとめ

パウロはガラテヤの人たちに、あなたがたが救われたのは、律法を行ったからではなく、信仰を持って福音を聞いたからであると訴えます。人は律法を行うことによってではなく、信仰によって義と認められることが教えられています。

静聴と観察

<命令>7節 信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい
<約束>8節 全ての異邦人はアブラハムによって祝福される
<約束>9節 信仰によって生きる人々が信仰の人アブラハムとともに祝福を受ける
<戒め>10節 律法の行いにある人々は、のろいのもとにある
<戒め>11節 律法によって神の前にぎと認められる者は誰もいない
<戒め>12節 律法は信仰によるのではない
<御子イエス・キリスト>13節 ご自分がのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから購出してくださった。「木にかけられた者はみな、のろわれている」とかいてあるからである
<御子イエス・キリスト>14節 キリストが十字架にかけられたのはアブラハムへの祝福がキリストによって異邦人に及び、信仰によって約束の御霊を受けるようになるためである。

適用

律法によって生きる者ではなく、信仰によって生きる者になれるようキリストに感謝し、祈り続けたい。キリストが御自らのろわれる者になってくださったことを心に刻み礼拝をしたい。
未だ律法によって生きる者はのろわれているので、他の人にもそののろいを負わせようとする。
彼らを救いたい。

祈り

主よ。御子イエス・キリストが御自らのろわれる者となって下さったことにより、私たちを律法ののろいから贖い出して下さったことに感謝します。律法によって生きるものではなく、信仰によって生きる者として下さい。また律法によって生きる者を信仰によって生きる者にして下さい。

アーメン

注解書を購入したいので、もしよろしければサポートお願いします