緑の羽織を纏う新しいヒーロー ~鬼滅の刃が導く新時代の夜明け~

 「鬼滅の刃」という漫画が、何故、あんなに人気なのか?
 
 その理由を私は、「新しい時代を告げる女性的ヒロイックファンタジー」だと断言する。
 
 女性的ヒーロー。英語にするなら Feminity Leadership だ。

 女性的と聞くと、「女々しい」「優柔不断」とか女性のネガティブな特徴を上げようとする人もいるかもしれない。

 それこそ、時代遅れの価値観だ。

 今回、何故「鬼滅の刃」が人の心を鷲掴みにしたのかを、オーラソーマ®というカラーシステムを元に色の持つ意味と、登場人物の個性や行動を照らし合わせて、お伝えしたい。


その者、緑と黒の衣を纏いて

 まず、主人公 竈門炭治郎 の衣装から、既に「Feminity leadership」を象徴する要素がある。
  炭治郎の羽織は、緑と黒の市松模様、ブロックチェックである。

 色の個性というのは、いわゆる戦隊ヒーロー物の登場人物で見てみると、非常に分かり易い。
 だいたい戦隊ヒーローは5人組で、レッドがリーダータイプの熱血漢、黄色が三枚目のギャグ担当、ブルーがクールな頭脳担当、グリーンが和ませムードメーカー、ピンクが紅一点のヒロイン、というパターンが1980年代から2000年のお決まりだ。思慮深く冷静沈着な赤レンジャーは、歴代探しても多分いないと思う。そして、戦隊ヒーローに限らず、マーヴェルコミックスでも、スパイダーマンしかり、アイアンマンしかり、主人公にはレッドがイメージカラーとして使われるケースが多い。
 オーラソーマに限った話で無く、レッドは主に愛と勇気、イエローは個性や希望、ブルーは理性や平等、ピンクは慈愛などを表す色として使われることが多い。これは、私たちがそれぞれの色に対して共通のイメージを無意識下で共有しているからだ。
 
 緑と言う色は、青と黄色の中間色だ。そして、身体に7つあるとされるエネルギーステーション チャクラでは、4番目のハートチャクラの色が緑である。第4チャクラは、7つあるとされるチャクラの真ん中、心臓の位置に存在するので、とても重要なチャクラである。天からの愛と他者を受け入れられる愛のエネルギーバランスが整って初めて、ハートチャクラが開き、全てのエネルギー循環がバランスよく働くのだ。
 ハートと聞けば、皆、ピンクやレッドを連想するだろうが、オーラソーマのカラーシステムでは、条件付きの愛をレッド、無条件の場合がピンクと考える。だから、過剰な愛は時に怒りを生む原因になるので、レッドには怒りや嫉妬、争いなどの意味も含まれる。
 緑、つまりグリーンは、オーラソーマで「Space」つまり「場所」や「人との距離感」を表す色として使われる。また、草木を連想するところから、枝葉が伸びていく「方向性」や「調和」、「生命力」という意味でもある。なので、他者とのコミュニケーションに基づく愛情もグリーンで表現できる。
 黒はチャクラでは、ゼロチャクラにあたり、足の裏にある。足の裏なので、大地との結びつきであり、言い換えれば全ての色を含む。絵の具や染色では、減法混色の理論が有り、全ての色を混ぜると黒になる。赤と緑、青と黄色などの補色と呼ばれる組み合わせも、染料では黒になる組み合わせだ。
 黒と言う色は、オーラソーマには存在しない色だ。それはオーラソーマが光の加法混色に基づいたカラーシステムだからである。光は混ぜていくとクリアー、つまり白光になる。これはTVやパソコンの画面に応用されているし、舞台照明も加法混色の理論で成り立っている。

 色目線で、緑と黒をひも解くだけで、「地に足がついた他者への愛情」というキーワードが浮かんでくる。 
 
 グリーンに話を戻すと、私たちがグリーンのものを挙げろと言われて、一番最初に出てくるのは、植物に関する言葉だろう。
 植物に囲まれたときに、アドレナリンが全開放出されて、興奮してしまう人は、まずごく少数だ。呼吸が自然と深くなり、脈拍も穏やかになるはずだ。争うときの衣装としては、あまり向いてはいない。
 そんな「穏やか」「平和」の象徴ともいえる色を、敢えて主人公に纏わせるあたりからして、「鬼滅の刃」は戦いや勝利がメインテーマではないと言える。
 そして、妹とはいえ鬼を連れている隊律違反者である炭治郎が、鬼殺隊のなかに受け入れられていく様子も、従来の男性的な「オラオラリーダーシップ」ではなく、相手を尊重し労わる「フェミニティリーダーシップ」、母性的な面倒見の良さなのだ。

竈門炭治郎というフェミニンヒーロー


 炭治郎という主人公は、全然少年漫画らしくない。
 「おれがおれが」という自己主張もなく、嘘もつけない、頑固な長男気質。でも、唯一の肉親となった妹の禰豆子を鬼から人間へと戻したい一心で、刀を握り鬼殺隊へ入る。無事入隊してからも、切った鬼へと哀悼の念を向け、一人の人間として成仏できるように見届ける。少年ジャンプのお家芸ともいえる「試練を乗り越える修行」という部分は、セオリー通りに組み込まれているけれど、「鬼滅の刃」での炭治郎は、戦闘シーンに在っても、どこか血気盛んな煮えたぎる熱さよりも、一歩引いた目線で描かれているように感じる。
  勿論、一歩間違えれば瀕死の瀬戸際を死線を何度も掻い潜り、最終回を迎えるまで、炭治郎は波瀾万丈そのものなのだけども、今までのジャンプで言えば、嘴平伊之助の方が主人公に近いキャラクター設定だと言える。

 「絶対的な強さへの欲」。これがヒーローの絶対条件だった。今までは。

 炭治郎の最大の魅力は、母性だと私は断言する。
「俺は長男だから」
 というのが口癖のように出てくるが、どんな相手でも最終的に自分の味方にしてしまうのは、心の真っ直ぐさと相手への気遣いに長けている母性の成せる業だ。つい心を許してしまいたくなる。
 男に母性が有るわけがない、という考えは、これからの時代には通用しなくなるので、是非、この機会に視点を変えていただきたい。

 炭治郎はどんな相手へも慈しみを持って対峙できる母性と、自分が守りたい存在を命を賭して守ろうとする父性の両方を兼ね備えた、ハイブリッドヒーローなのだ。

 慈しみの慈をもって「日本一慈しい(やさしい)鬼退治」と読ませるキャッチコピーを使っているように、「鬼滅の刃」に出てくる登場人物は、どこか少年漫画らしさが薄い。鬼舞辻無惨と童磨、獪岳以外、鬼も含めほぼ全員、特定の他者への情が深い。それも、人気の一つだと思う。少年漫画風に味付けはされているけれど、「ONE-PIECE」以上に、個々のキャラクターへ対する作者の思い入れが深いし、抱えている過去が哀しい。サブキャラクターの過去を掘り下げれば、あと1年くらい余裕で連載を引っ張れるだけのエピソードは出て来ただろうが、話の大筋を無暗にそらすことなく、人間と言う不条理な生き物を、真っ向から見据えて淡々と描いている。

 少年ジャンプは、一応10~15歳前後がメインターゲットだけど、実質の読者層は間違いなくアラフォー世代だ。
 そのあたりの分析は、既に宇野常寛さんが「若い読者のためのサブカルチャー論講義録」にズバリとご指摘されているので、気になる方はそちらを読まれることをお勧めする。
 「ONE - PIECE」は、5年前のビジネス書ブームと連動している部分が有ったから、あれだけのヒット作品になった。「海賊王におれはなる!」というナンバーワン宣言。そして、戦いの中で仲間が増え、自分も成長し、絶望を克服し、脳筋ヒーローながら「平成の帝王学」を私たちに見せてくれている。
 しかし、時代は変わった。ナンバーワン至上主義から、オンリーワンの全体主義、そしてコミュニティの時代へと。

リーダーシップの在り方

 「鬼滅の刃」は、女性的リーダーシップの時代が始まる序曲だ。
 それは、鬼舞辻無惨率いる鬼と産屋敷輝利哉率いる鬼殺隊の最終決戦が、まさにその縮図だと言える。
 鬼舞辻をおびき寄せた結果始まる、敵の本拠地での総力戦。
 父を失った直後から、齢8歳の産屋敷当主になった輝利哉を支える、妹二人と護衛役の大人二人。その本陣から、7人の柱と炭治郎、伊之助、善逸、カナヲを含む鬼殺隊隊員へと的確な指示を出す。迎え撃つ鬼舞辻側は、上弦と呼ばれる最強の鬼3匹。ジャンプらしい、戦闘メインの展開の中で、圧倒的な身体能力を持つ相手を満身創痍になりながらも、チームワークで討ち取っていく。
 今までの善と悪という総力戦で、圧倒的強さを持たない総大将の元で最終決戦を迎える展開は、多分「鬼滅の刃」が初めてではないかと思う。
 戦国時代を例に挙げれば分かり易いと思うが、強さを第一優先とする組織の場合、ナンバーワンが居なくなれば、後継者をめぐっての争いが必ず起きる。存命中からも、世継ぎ問題は血を血で洗うか、謀略のせめぎ合いだった。「圧倒的強さ」と「運」。下剋上という行為が、称賛でもあった時代ならば、産屋敷家の家督交代に誰も異を上げず、一致団結して戦うなど、ありえない展開だろう。
 これは、そもそも鬼殺隊が、ただの「鬼殺し」集団ではなく、「鬼による負の連鎖を終わらせよう」という意志の元に運営され続けた証拠であり、前当主の人徳がなせる業だ。
 
 鬼殺隊には、産屋敷当主以外のサブリーダー的役割が居る。それが「柱」と呼ばれる実力者達だ。炭治郎が入隊した当初は9人の柱が居たが、物語が進むにつれて7名に減り、最終決戦ではわずか2名を残して、皆、殉死してしまう。「鬼滅の刃」の面白い構成は、少々荒削りさのある話の展開だと思う。いろいろ回収できていない伏線もあるように感じられるから、二次創作での広がりもあるのだろうが、柱9人の過去もわりと説明が最小限にとどまっている。
 その中で、煉獄杏寿郎という炎柱と言う存在が、炭治郎のもつ「母性的リーダーシップ」を目覚めさせたという点を挙げたい。

 「ドラゴンボール」にしろ、「聖闘士星矢」にしろ、「SLUM DANK」、「ONE-PIECE」にしろ、主人公の精神的な成長を手助けする存在がキーパーソンとして現れる。炭治郎の場合は、煉獄杏寿郎がその立ち位置だ。
 煉獄は、炭治郎が初めて戦う鬼舞辻直下最強の部下でもある上弦の参と戦い、命を散らす。たった数時間の任務で、炭治郎にとって特別な存在となり、煉獄家と炭治郎の結びつきを担い、炭治郎の秘められた能力を開花させる水先案内人にまでなってしまう。その一部始終を、これまでの少年漫画とは違い、読み手の感情を無暗に煽るのではなく、淡々と描いている作者のコマ割りと作画構成には、本当に恐れ入る。
  煉獄は、死にゆく背中で「相手を守る」ということと「心の強さ」を炭治郎に教える。それは、鬼殺隊として柱になった時に、覚悟を決めていたという煉獄の強さと「守りたい」という父性がなせる業だ。
 煉獄もだが、柱9名の内、記憶を持たない霞柱の時透無一郎以外、男性陣は皆それぞれに父性と母性の両方を兼ね備えている。鬼殺隊を統括する産屋敷当主がそもそも、母性の強い英才教育を受けているからだろうが、煉獄は代々の家柄に加え母親の教育と弟の存在が大きい。
 その「意志」を引き継いだのが、主人公炭治郎である。

優しく強い男たちの集まり

 脇役である男性陣も、特別な相手への思いやりが深い様子が色濃く描かれているというのが、「鬼滅の刃」が女性的リーダーシップの物語である一つの理由だ。
 まず、鬼殺隊を統括する産屋敷第97代当主、輝哉。
 生まれながらに病弱でありながら、家督を継ぎ、先祖代々からの責任である鬼狩りを背負う。と書くと、別段珍しくもないけれど、ある意味神格化されているくらい、謎めいている。
 しかし、過去の回想では、自分が非力で全く戦えないのに、隊員を危険な場所へと送り出すことへずっと申し訳なさを感じており、そのことを指摘された時に、すかさず「つらいことばかり君たちにさせてごめんね」と柱全員の前で謝罪を出来るという潔さ、精神的な強さと深い労わりを持つことを描かれている。
 隊員を「私の子どもたち」と呼び家族のように大事だと思っている姿には、独特の声を持つという設定を抜きにしても、母性全開のリーダーシップによって、柱たちに慕われていたと言える。炭治郎を筆頭に、皆、それぞれに鬼殺隊へ入隊した暗い経緯がある。その過去ごと全て受け入れる姿勢をずっと、輝哉は貫いてきた。それが、自分の死後直後に家督を引き渡し、総大将を担わせる結果となる嫡男、輝利哉への鬼殺隊主要メンバーが全面的な信頼を寄せ、躊躇なく最終決戦へと挑む原動力になっている。
 柱最強で最も古参の岩柱、悲鳴嶼は、盲目ながら僧侶として身寄りのない子供の世話をしていた過去があり、戦いによる片目片手の欠損から柱を引退した元音柱、宇髄は抜け忍であるが故に、妻三人の命を最優先、市井の人、鬼殺隊員がその次、最後が自分の命というルールを背負い、自分の身体を呈して戦った。これは、宇髄的キャラによくありがちな「俺様ジャイアン」キャラにはありえない利他精神である。
 第一話で炭治郎と出会う水柱、富岡は名台詞「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と叱咤し、男性ならでは不器用さを見せつつも、炭治郎を陰ながら支える兄弟子として描かれてるし、一番ジャンプらしいキャラクターともいえる血気盛んな風柱の不死川ですら、兄弟を思うが故の行動が描かれている。
 作中で唯一、ガチ恋愛担当となってしまった蛇柱の伊黒にいたっては、悲惨すぎる出自があるものの、恋柱への態度が少女マンガに出てくるイケメン彼氏ポジションすぎて、彼ら二人の最期だけそこはかとなく、少女漫画の悲恋ものにしか見えなかったくらいだ。
 炭治郎の同期で親友へとなっていく我妻善逸も、呆れるくらいのお人よしで優しすぎるキャラクターである。伊之助と比較して、臆病、泣き虫といういわゆる「女々しい」部分を多く背負わされたキャラクターでもある。「女の子を泣かすな!」とフェミニスト全開で、作中ではもっぱらギャク担当扱いされているが、「泣きたくなるほど優しい音がする」炭治郎と出会うことで、人を信じたくても信じれない耳の良さと言うトラウマを抱えながらも成長し、兄弟子を倒すという精神的にも物理的にも大きな試練を乗り越える。物語の重要部分で作者が敢えて善逸の屈託のない笑みを描くくらい、本当は優しく強い。
 
 強さという基準は、腕力だけではない。最終的に、鬼舞辻との一騎打ちをする炭治郎は、鬼と人間という肉体同士の物理的な争いではなく、意志という精神的な戦いに打ち勝った。
 このことも、「鬼滅の刃」が新しい時代へのメッセンジャー役を担っている。
 物理的な力による支配は、もう時代遅れ。
 本当の強さは、相手を受け入れ尊重し合うことだと。


本当は女性の方が強いという暗号

 主要男性陣が女性的な思いやり深さを持つと言う事は、つまり、「鬼滅の刃」の女性陣は、凛々しさを色濃く滲ませている。精神的に強い芯のある女性しか出てこない。
 炭治郎の妹、禰豆子は、鬼となっても自分の意志で炭治郎と共に戦い、人の血肉を食べることなく、徹底して自分、そして兄の尊厳を守り抜く。
 そして、これは特に作中では触れられていないのだが、戦いの経験を経れば経るほどに、強さや能力がレベルアップしているのである。禰豆子は、特に戦いの訓練もしていないし、自分の力を誰かに教わる機会もないのだが、ともすれば、この場において誰よりも強いんじゃないか?と思わせるシーンもいくつかある。個人的には、一番回収して欲しかった伏線だった。
 物語の最も重要な役目を担う鬼、珠代も、自分で無惨からの精神的支配を解除するという前代未聞の荒業を成し遂げて、医学に精通てずっと研究し続けていたし、前述の煉獄母もきりっとした女傑である。宇髄の嫁三人も、抜け忍を許さない忍びの里を夫と共に逃げ切り、遊郭でそれぞれに花魁まで短期で登りつめるくらい、くノ一として優秀である。
 産屋敷家の女性陣、輝利哉の母であり、輝哉の妻であったあまねは、日に日に弱る夫を支え、夫の代理としても堂々と役目を果たした強く優しい女性だ。そして、その母を見て来た娘たちも、また強い精神力を持ち、最終決戦で後援部隊として果敢にサポートをする。
 虫柱の胡蝶も、胡蝶の弟子である栗花落カナヲも、女性として描かれているが、わざわざ性別を固定しなくてもいいくらいに中性的な描かれ方をされている。胡蝶においては、自分の肉体を毒に変えるという徹底した姿勢で、鬼を倒すこと、姉の仇を討つことに人生を捧げてる。潔すぎる。
 唯一の例外は、恋柱の甘露寺だが、彼女のエピソードは世の女性へのメッセージのように思える。結婚が全てでは無い。自分の魅力を発揮できる場所は、必ずあるし、ありのままの自分を好きになってくれる人に必ず出会えると。
 胡蝶と甘露寺の刀も、「柔よく剛を制す」を代弁している形をしている。
 皆、それぞれに得意とする分野を使い、自分らしく戦えばよい。
 たとえ、首を切り落とさねば退治できぬ鬼であっても、同じ効果を出せるなら、柱として正しくその力を評価される。物理的に非力であろうと、自分の出来ることを最大限生かせば良い。そして、自分の目標を果たせばいい。
 「鬼滅の刃」が女性ファンから支持されるのも、作者が随所にちりばめた女性へのエールと賛美が伝わっているからだと思う。


鬼が居なくなった世界で迎える夜明け ~まとめ~

 鬼は退治出来たが、人間の闇や弱さは退治できない。
 それが、人間の業だから。

 「鬼滅の刃」にはそんな含みもある。鬼舞辻無惨と言う鬼も、たった一人の人間の弱さと執着から産まれた。
 平安から大正までの長い年月。物理的に強さが有り、家柄や学が有っても、人間は鬼へと成り下がってしまう。そのことにもこの物語は、随所で触れている。
 しかし、元を糺せば、誰しも皆大切にしたいものが有り、守りたい一心からの行動によって、不条理な思いをして、他人を恨んでしまう。社会的に弱いから、負けてしまう。異端者として追いやられてしまう。
 誰かの正義が、全員にとっての正義ではない。ということを作者は伝えたかったのではないかなと、「鬼滅の刃」全話を読み切って感じる。

 あの時、相手を思いやれたら。
 相手の考えていることを受け止め、行動出来たら。

 これは、私も含め、人間関係で悩むときに必ず出てくる後悔だ。

 炭治郎が大きな後悔を抱えたときから、「鬼滅の刃」は始まる。そして、生死を掛けた戦いの末、目的を達成して、穏やかな日常へと戻れる。
 夜明けとともに、全てが始まり、終わり、そしてまた始まる。
 
 彼の目的は、「妹を助けたい」。この一言に尽きる。自分の為では無く、他人の為に動く少年の物語なのだ。

 「ONE-PIECE」主人公のルフィは、「誰よりも強くなりたい」。これは、「ドラゴンボール」の孫悟空もそうだし、「NARUTO」のうずまきナルトも似たようなものだ。
 「友情、努力、勝利」これが彼らが連載された少年ジャンプの三大原則。だから、「勝つ」ことは主人公の責任で正義なのだ。
 少年ジャンプの作品のほぼ9割が、戦いによって自分を成長することを目的とした作品が多い中、炭治郎はただ、「肉親を助ける」ために鬼を増やす鬼舞辻無惨を追い、努力によって自分にできる事を増やし、鬼をこれ以上増やさないように、元凶を倒したのだ。
 
 ここが、竈門炭治郎が女性的なヒーローだと言い切る理由だ。
 
 「誰かのために強くなる」と言うのは、母性の持つ一面だ。多くの女性は、子を産み育てることで本来の強さに目覚めていく。
 女性がか弱い、と言うのは、重いものが運べないとか、直ぐ疲れるとかそういう、肉体的な性差に基づいた偏見であって、実際に痛みへの耐久度で言えば、出産時と同等の痛みを男性は耐えられないというデータもあるし、今でこそ新生児の死亡率は下がっているが、昔は男児は病弱で育たず死ぬとされていたから、5歳くらいまで女児として育てるという眉唾物にも思える文化が有ったと言う事から、女性は決して生物学上弱い訳では無い。
 むしろ、「守る対象」がある女性は、相当強い。だから母性は強さの源になる。

 時代が変わっている丁度、潮目にある2020年。今までの「ナンバーワン」礼賛ではなく、「コミュニティ」「オンリーワン」という何か1つが支配する絶対主義から、皆でより良いものを作ろうとする相対主義へと、男性的なトップダウンのリーダーシップから、メンバー目線でのチーム運営ができる協調に基づいたリーダーシップへと不特定多数の潜在意識を切り替える物語が、炭治郎の物語なのだ。

 ここまで、長々と書き綴ったことを1mmも感じずに「鬼滅の刃」を好きだと面白く読まれる人が大勢で良い。サブリミナル効果となって、脳内に在る無意識の領域へと「女性的なリーダーシップ」という概念を刷り込まれていくからだ。
 
 上からの押しつけではなく、心からの共感。
 
 これこそが、世界的な変化から始まる2020年代に私たちが大切にしていかないといけない視点になる。

 相手を思いやる心は、人間の持つとても素敵な宝のひとつだ。

 もし、「鬼滅の刃」を知らずに、ここまで読んでいただいた上で作品に興味を持っていただければとても嬉しいし、漫画もアニメも好きだと思われたうえで、最後まで読み終えていただけたのであれば、あなたも「女性的なリーダーシップ」を持ち合わせた、素敵な感性をお持ちな人です。ありがとうございます。

 最後になりましたが、とても素敵な物語をこの世に、そしてこのタイミングで私たちへ届けてくださった、原作者の吾峠 呼世晴 さん。
 本当にありがとうございます。
 完結まで無事連載され続けたことを心より感謝、お慶び申し上げます。しばらくは映画やその他でお忙しくされるとは存じますが、どうぞしっかりと養生されて、また素敵な作品を私たちに読ませてくださいね。 


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