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小学3年後半~小学4年

1987年(昭和62年)の夏、親の転勤に伴い北海道の地方都市から神奈川県横浜市某区に転居しました。  地方からバブル絶頂期の横浜の小学校に転入……小学校も3校目となりました。 いきなり大都会の地下鉄駅近くの中層マンションが自宅となりました。 集合住宅とはいえ、エレベーターが付いている建物に居住と言うのはかなりの別世界に来た感覚でした。


小学校も北海道とは色々と勝手が違い、小3のうちは慣れるのに苦労しました。  この地域は中学受験熱がかなり高く、クラスの結構な人数が中学受験に参戦するようでした。 この頃は自分も学力的には中学受験を検討できるぐらいのレベルではありましたが、いずれ北海道に戻る予定だった事などもあり、中学受験はしない事になりました。(大人になった今では中学受験したかった気もします)     


このような地域柄なので公立小学校とは言え、全体的に学力水準は高かったようです。  地方からの転入でしたが、成績の方は結構善戦しており、5教科は相対評価で社会5・国語や算数も4をキープしていました。(理科は3or4)   この時の担任の先生は社会科に強い先生だった事もあり、この頃から自分の得意教科は社会と言う事がはっきりと判明しました。(自閉症スペクトラムにありがちな社会凸タイプとも見れそう)    一方で算数のソロバンが全く理解できなかったり、算数の文章題や国語のローマ字あたりがやや弱いなどの特徴も出てきました。  ちなみに動作凹なので実技教科は相変わらず微妙でした。


そして小4に進級しました。  今回はクラス&担任持ち上がりを初体験となりました。  小4の時は毎朝の集団登校の班長をやる事になったり、何故か運動会の応援団員に選出されたりしました。  結構な社会性向上に役立ちそうな経験をしましたが、なまじこの頃に定型発達寄りに見えてしまった為、本来ならば発達障害由来で配慮が必要な事項が陰に隠れてしまったまま成長する事になったと言うマイナスの側面もあります。  自閉症スペクトラム障害なので、人生全般において人間関係や対人スキルなどの問題はつきまといますが、この頃は比較的周囲とも良好にやれている所もありました。


横浜の小学校の4~5年にかけては、結構遊びに邁進していた気がします。 ファミコンのドラゴンクエストやファイナルファンタジーに没頭して将来はゲームデザイナーになりたいなどと考えたり、レーサーミニ四駆の改造やSDガンダムBB戦士(プラモデル)にも熱中したり、ビックリマンシールの収集や月刊コロコロコミックや週刊(隔週?)ファミコン通信の購読などにも力を入れていました。  また付き合い程度とは言え同級生と野球やサッカーをしたり、自転車レース的な遊びをしたり、隣町の市民プールまで頻繁に遊びに行ったりと、人生最高クラスの社交性もあった時期でもあります。(まあ、それでもズレている所はズレていましたが……)


小4の冬休みに年号が変わり、昭和から平成の時代に突入しました。

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