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高校1年

1994年(平成6年)の春、北海道のある地方の公立普通科高校に入学しました。 一応大学受験を目指すカリキュラムで運営されている高校でした。


何とか高校には入学したのですが……中学校に引き続き『集団生活は合わない』の一言でした。  学校生活に支障が出ない程度に周囲と交流できれば御の字ぐらいのスタンスだったので、積極的に友人を作ろうなどと言う意識はありませんでした。  その辺はASD当事者なので必然なのかもしれません。  もし、そのあたりが上手く行っていれば、ASD傾向はあっても社会的障害が生じていないので、診断基準を満たさない可能性もありそうです。


公立なので学費が安いと言う理由に加え、この高校を選んだのは『高校3年間で何とか学力を向上させ、あわよくば国立大学とか難関私立大学に行ければ』と言う理由も大きかったので、勉強に力を入れるつもりで入学しました。  しかし、かなり無理めの受験を入試本番の一発逆転で滑り込み入学と言うレベルだった為、スタートから暗雲が立ち込め、夏休み前にはかなり危険信号……2学期以降は真面目に留年の可能性も否めない状況となり、高1の時は生きた心地がしませんでした。


自分の学力はと言うと、社会は別格で得意科目で国語も割と得意な部類だが、理数系はとにかく苦手で英語も微妙と言う状況でした。  しかし、この高校は高1の最重要科目は数学と言うスタンスで、『定期試験は他の科目は100点満点だが、数学だけは200点満点』と言う、このタイプには極めて過酷な形式となっていました。   数学は曲がりなりにも勉強してギリギリ赤点回避できるレベルで、途中から化学も悲惨な状況……そして勉強時間を数学に割かれてしまうので、英語が手薄になり『数学・化学・英語の3科目が赤点or赤点ギリギリ』と言う惨状となりました。  ついでにこの年から男子生徒も必修になった家庭科まで赤点ギリギリと言う始末でした。


このような状況だったので、入学当初のあわよくば国立大学などと言う願望は完全に吹き飛び、最悪留年した際にはどうしようかと真剣に検討せざるを得ない有り様でした。 (学校側は通信制高校への再入学を勧める予定だったとの事)   


高校生になり、2ヶ月に1回ぐらい札幌まで遊びに行くようになりました。 大した事はせずひたすら店を見てまわって終わりでしたが、この頃は札幌に遊びに行けるのが最大の楽しみでした。


一部科目で本当にギリギリだったようですが、何とか2年に進級できる事になりました。

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