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小学5年

平成元年の春、小学5年に進級しました。 クラス替えとなり、前年とは雰囲気が違うクラスとなりました。 運動関係には消極的なタイプでしたが、何故か流れで小学校の特設サッカークラブに入部する事になりました。 これは授業内のクラブ活動とは別で、男子はサッカー部・女子はバスケット部の1択であった中学&高校の部活動的なものでした。 毎朝の朝練とたまに土曜日に弁当持参で午後練と言う活動内容でした。 大した活躍はしませんでしたが、脱落する事なく1年間やり通したのは奇跡的とも言えそうです。


クラス替え直後の学級会で学級委員の選出がありました。  立候補者はおらず、男子は推薦により4名の名前が浮上していました。  その中の1人に自分も含まれていました。  しかし、その後まもなく1人の候補者が『放課後は中学受験の塾があるので、学級委員にはなれません』なる発言をし始めました。  他の2人も同じ事を発言し、男子の候補は自分だけになってしまいました。  担任から『ブルーハワイ、君はどうする?』なる一言が発せられました。 他のクラスメイトの視線が自分に集中しました。  そして自閉症スペクトラム障害で空気が読めない自分でも、さすがに何かを強く求められている事に気付きました。


『僕は……塾には通っていないので、放課後は特に予定はないです』 更に注目が集まりました。 『学級委員の活動、面白そうだし……やってもいいです』  そこまで発言した瞬間、教室内は盛大な拍手に包まれました。   満場一致で男子学級委員に選出されました。  就学時には養護学校就学の可能性もあった身としては快挙かもしれません。   この一件はかなり大きかったらしく、小5のクラスは人生で最も人間関係がスムーズだった気がします(全く問題がない訳ではないですが……)。


小4に引き続き遊びに邁進する毎日で、少しずつ中学受験組との学力差が開いてきていました。  また発達障害由来の問題も全く無かった訳でもなく、この頃からトイレが近いとか集中力に問題がある時があるなどの課題も顕在化してきました。  また運動会でマスゲーム的な種目があったのですが、その型が全く覚えられずに補習の連発となった記憶もあります。


小5も後半になると、中学受験組は受験勉強が本格化してきたようです。 自分は公立中学組だったのでこの頃から同じく公立中学組と遊ぶ事が多くなってきました。  少しずつ長い長い小学校生活の出口が見え始め、中学校以降の事も意識するようになってきました。   そんな中、またまた転校する事となり小5が終わると同時に横浜を離れて北海道に戻る事になりました。


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