見出し画像

中学1年前半

1991年(平成3年)の春、札幌市内の公立中学校に入学しました。  学業に力を入れようと思いつつ、何故か某運動部にも入部しました。 この判断は結果的に失敗だったようです。 また夜には学習塾にも通い、1週間が授業・部活・塾で終わると言うASD当事者らしからぬ中学校生活がスタートしました。


真新しい学ランを着用し、これから少しだけ大人の世界に足を踏み入れる……そのような予想は外れ、少しだけどころか結構な大人?の世界が展開されていました。 昔から荒れている事で割と有名な中学校だったのですが、だいぶ落ち着いてきつつあり上級生から何かをされるなどのトラブルは幸いにして1度もありませんでした。  しかし1年生は『このまま行ったらとんでもない事になりかねない』と先生方が危惧していたぐらい序盤から荒れそうな様相を呈していて、小学校からいきなり高校に飛び入学したような雰囲気が良くも悪くもありました。


勉強に力を入れたいと考えていましたが、下手に部活に入った事により両立に大幅な支障が出ました。 英語は3人称単数現在形にSが付くと言う事が理解できずに序盤からつまづき始めました。 また算数は割と得意だったのですが、数学の文字式の概念の理解ができずにこちらも苦手意識が出てきました。


人間関係面は良くも悪くもかなり色々な事がありました。    入学当初は予想だにしなかったぐらい大きな何かに巻き込まれていたようです。  そんな中、またしても転校する事になりました。  そしてとある大イベントが発生しました。 その時の自分がとった行動&発言は予想以上の内容だったらしく、この中学校の後輩方に語りつがれるだけでなく、近隣校その他にも知れ渡る伝説となってしまいました。   一発逆転ホームラン的な出来事だったのですが、諸事情あって詳細は書けないのが残念です。


そして転校直前に様々な事実を先生方から知らされました。  その中の1つに自分が軽視できないレベルの何らかの障害を有している可能性を相当心配していると言う事も含まれていました。 学校側としても何らかの配慮や支援などを出す事もかなり真剣に検討していたとの事でした。  この時の担任の先生を始めとした学年団の先生方はまさに『プロフェッショナル』の一言であり、恩師と言う言葉がふさわしいプロ集団でした。 


この時聞いた様々なお話しは、その後成長して大人になり、中年となった現在でも人生の基礎と言えるレベルで自分の人格形成に深く影響しております。  その中の1つにあった『大人を信用しすぎないように』と言う教えは、ASDゆえにあまり人を疑う事を知らなかった自分にとって、目から鱗的な内容でした。 この時この話を聞いていなければ、おそらくしゃれにならない厄介事に巻き込まれるような事態などもあったかもしれません。  


わずか4ヶ月とは言え、物凄い濃度を持った中1の1学期も終業式を迎える事となりました。 転校する旨の挨拶も終わり、最後の最後にまたビッグイベントが発生しました。  我ながら4ヶ月で随分成長したと実感しつつ、1校目の中学校を後にしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?