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ひとはいつも無意識に気持ちいいを求める

 あたしはまた思い知った。自分はほんっとうにまだまだだなぁ‥と。そしてまたあたしはごにょごにょと手帳とともにひとり脳内会議を繰り広げる。毎朝の手帳time、脳内の排出をするタイミングで反芻して反省する。

やっと理解できたと思った途端間違いに気づく 結局は何もわかっていない

海外ドラマ”スーパーナチュラル”での天使カスティエルの言葉

 もうずっとこの言葉が、今のあたしのどまんなかに刺さって床に縫われて動けず心から離れない。突然の海外ドラマからの引用だけど、こんなふうにふと目にする耳にする言葉って、今の自分に究極に必要だったりするから本当にびっくりする。

* * *

 人に頼られること、頼られて求められたことにサクッと応えられたこと、助言をありがたがってもらえたこと、それによる「おごり」や「優越感」が頭をもたげたというお話からの気づきを。

 思えばあたしはすっかりいい大人をもう何年もやっていて、人に教わったり習ったりすることよりもその逆をやることのほうが最近は多くなってきたなぁと感じていて、だけどそれは苦手な方だと思っていて。でも若者が困ったり悩んだりしていて助言を求められると、自分が見て触れてきたことで助けになるのなら‥と話をしてしまう。そう、してしまう。

 いちばん最初は、本当に助けになるんじゃないか、ただそれだけだった。もっとこうしたらきっといい具合になるんであろうと想像・妄想しておせっかいしてしまった。そしてそのおせっかいはありがたがってもらえた。うれしかった。自分でも役に立てたのだと。だからそこに気持ちよさが生まれてしまった。結局最後には気持ちよくなりたいのほうが強くなってしまった。

 いちばん近い言葉は優越感、なのかなぁ。そんなつもりはなくても優越感をどこかで感じていた‥?そしてその気持ちよさをゆるゆると味わって思考停止していた。

 仕事や大病もふくめてこれまでの経験で得られた自分に積み重なっていったものは本当にありがたく、自分にとって大切なことだったのはたしか。そのどれかが誰かの助けになるのなら‥、とか、知らないでいるより知っていたほうがいいのでは?なんてちょっとおこがましくも思ってしまった。

 何度も言うけれど病気をしてからは本当にずっと精神と魂の修行中。それは今も継続中。こうしてだめな自分を見つめることを繰り返す。

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 もともと自己肯定感の低いあたし。以前書いたnoteでもそれは容易にわかる。人の顔見て他人軸で生きるという処世術を鎧として着込んで生きることが楽だった。それってつまり、思考停止してたんだなぁ、と今はわかる。今だからわかる。あの時間、もし巻き戻して取り戻せたらなぁ‥。

 思考停止は気持ちいい。自分にとって居心地の良い状態をそのまま保てばいいんだから。そしてひとはいつも無意識に気持ちいいを求める。ちょうどいい温度で波間にぷかぷか浮かんでるようなそんなゆるい「気持ちいい」の先に何があるとも知らないで。

 すっかりいい大人を久しくやってからやっと気づくことって結構あるなぁ、ってしみじみ思う。ぬるっと過ごしてしまった青く若い自分の、あの小さく頭を横に振りたくなるような時間を、もう取り戻せないとわかっている今の自分が冷静に思い返す。とは言え同じひとりなんだよなぁ。そしてあの時間があったからこそ今の自分があるわけで。

 今は、目先の気持ちいいじゃなくて、ほんとうの意味での気持ちいいを求めることをしていこう。かつてのあたしの得意技だった「思考停止して無になる」なんてことはもうやめやめ!そしてパッと脊髄で反射してアクションするんじゃなくて、そのときの最善を考えて考えて整理してからサクッと次へ行こう。

でもきっとあたしはまた失敗するかもね。
そのときはまたここに戻ってだめな自分を見つめることを繰り返すよ。
自分の芯からの「気持ちいい」の先にたどり着くために。

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