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めくるめく癒やしのおにぎり

あたしにとっておにぎりは癒やし。
そのフォルム、ちょうどいいかたさのお米の食感。
ひとくちほおばったとき、つい目が細くなる幸福感。
ほんのりの塩加減と入っている具材とのハーモニー。

* * *

 子どものころからお米が好きだった。全然裕福じゃなくてむしろ貧乏だったけど、ありがたいことにお米だけはずっと祖父の作る美味しいコシヒカリを食べて育ったからお米に関しては舌は肥えてるかもえへん!なんて言えるほど無駄に自信がある。つやつやぴかぴかの炊きたてのごはんを見るだけで「きゅうん」とするし、おなかいっぱいでも「食べたい」と思えるし実際叶うなら食べる。

 ごはんだけもぐもぐしてあの甘いじゅわっと感を楽しむの好きだし、味の濃いおかずや揚げ物の衣のところを白いごはんにちょいちょいっとホップステップさせて口へとジャンプさせてから味の載ったごはんを食べるのも好き。
 あとはね、たまごごはんに、赤いごはんに、そしておにぎり!
大好きなお米・ごはんに自分好みのおかずを入れてぎゅっとにぎった、それはあたしにとってまあるい魅惑の魔法の食べ物。

 梅干し、ゆかり、塩だけのおにぎりに海苔を巻いたの、海苔の佃煮、牛しぐれ、ピースごはんのおにぎり、とうもろこしごはんのおにぎり、もうもう挙げたらきりがないめくるめく無限のおにぎりワールド。あぁ想像したら無性におにぎりが食べたくなってしまった。

‥と同時に思い出した。

* * *

 ブラック企業時代、残業深夜帰りコースのお夜食は決まってコンビニおにぎりだった。その会社は、決まった和食屋さんで晩ごはんを食べさせてもらえるありがたくもちょっと変わった会社だったから、深夜に買うコンビニおにぎりはあくまでお夜食。お酒のアテ代わりにおにぎりを食べてた。

 深夜1時を過ぎた頃、コンビニに寄っておにぎりを買って帰る。その数は5〜6個。(「えっ!?」って声が聞こえたような気がするけど、大丈夫そうなるのあってる、あたしも今なら「えっ!?」ってなるから。)

 深夜だからテレビもあまりやってなくて、CSの海外ドラマやアニメなどを夜な夜な見ながらひたすらおにぎりをもぐもぐ。合間にビールかワイン。つぎつぎとフィルムを剥がしてどんどんもぐもぐ。4つ目くらいから明日の朝に取っておこうかどうしようかと葛藤が始まる。そして残せたときは勝利!残せなかったときは己の欲望の赴くままもぐもぐを貫いた。もちろんおなかはいっぱい。そしてもちろん大後悔。翌朝、部屋の床上20センチの後悔の海のなかあわただしく準備してまた仕事へ。

 あのもぐもぐ病、暗黒時代の当時も自分でわかっていたけど、そうすることで満たされた気持ちになってたんだろう。おなかいっぱいぎゅむぎゅむに好きなものを食べることでスキマを埋めたような錯覚。
 あの頃いろいろな理不尽を受け入れて働いていたし、忙しいのも遅く帰るのも当たり前、好きな人ともなかなか会えない、そんな暗黒時代真っ只中で、美味しいものを食べてお酒を飲むことが唯一の楽しみだった。(その後この仕事をしながらフードコーディネーターの資格勉強を独学で始めたんだけど、それはまたの機会に。)

 休みの日曜日に自分好みのごはんを作って食べることで、翌日からの怒涛の戦いに備えてた。でも、火曜日にはもう電池切れ‥。そしてコンビニおにぎりフェスがまたもや繰り広げられることに。

 人間ってすごいなぁと思う。きっとそのおにぎりはあたしが自分に出した処方箋。自分の好きなものを誰にも止められること無く好きなように食べ、そして眠る。食べ過ぎた後悔こそあれ、満たされた後ちゃんと夜は眠った。さすがに連日コンビニおにぎりを食べ続けることはなかった。でもそれは定期的に繰り返されるフェスだった。

‥そんなことを、思い出した。

 今もおにぎりは大好き。それが自分で作ったものでもコンビニのものでも。だけどあの頃の食べ方はもうしない。あたしの大好きなお米に対して冒涜とも呼べるあんな失礼極まりない食べ方なんて。感謝も味わいも食べる喜びでさえ自分の中にまったく蓄積しない食べ方なんて。

 スキマを埋めるために無機質に食べる哀しいおにぎりはもういらない。美味しいごはんで作ったおにぎりを誰かに美味しいって言いながら食べるおにぎりを食べたい。

* * *

あたしにとっておにぎりは癒やし。
ちょうどいい水加減で美味しくお米を炊いたら、炊きたてをぎゅぎゅっとにぎって「美味しいね」って言いながらにこにこ向かい合って食べよう。
そして「美味しいね」って返してもらえたら、それがサイコーのおかず。

そんな何気ない明るくのんきな食卓。それがうちの食卓。
次はどんなおにぎりにする?



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