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絵を描きたい理由

カメラを持って街に出かけたいなて思う。
靴を履き駅に向かい、気になるものを探してみる。

店の前に並ぶ売り物を、パシャリ。
カフェで注文したレモネードを、パシャリ。

しかし、どこにシャッターを切ってもあまり上手く撮れない。


技術がない、着眼点がイマイチ。
まあそうなんだろう…

でも、それとは違うモヤモヤがある。
どこか心がしっくりこないのだ。

なんでだろう。

写真は嫌いじゃない、大好きである。
そしてせっかくの休日だし、好きなことでリフレッシュしたい。
でもなぜ、シャッターを切っても、納得がいかないのか。

各駅停車の電車を待つこと数分。
乗る予定のない急行電車が出発し始めるなか、ふと気づいた。

おそらく、被写体があまりにも近い。
自分が注意を向ける先が、あまりにも近いんだと思う。

この日撮った写真の一枚。
一番遠い場所で、およそ10m先。
なんだかとても近くて、本当に見たいものじゃない気がする。。
(撮影機種:α7R IV + CONTAX Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.7)

振り返ってみればそうだ。
一人で撮影するとき、わりと衝動的に撮影していた気がする。

なにか刺激を…なにか目を惹く撮影対象を…

5m先の刺激に、自分を癒して欲しいのだと思う。


なぜなんだろう…理由はとっても単純。

こころにぽっかりと空いた寂しさを、癒したいからなのだろう。
寂しさから目を逸らしても、それは消えないのにね。


じゃ、自分の寂しさを紛らわす方法ってなんだっけ…。
気づいたら乗っていた各駅停車で、
はるか先で成長する積乱雲を見つめながらぼーっと考える。

積乱雲…雲…空…

昔から雲が好きだったことを思い出しながら、
車窓から雲を眺める自分に意識を戻す。

そうだ、自分は雲を眺めて、遠く遠くの世界を夢見ていたいのだった。
遠い遠い雲たちを眺めて、空を青さを夢見ていたいのだろう。

そして東京という、上を向けば人にぶつかる街は、
きっと空を眺めるのに向いていないのだろう。

ぶつかってくるのは、人だけではない。
遠くを見ようとすると、目先の広告や売り物が注意を逸らしたり、
スタバの狭い机が思考の幅を狭めてくる。

つくづく、効率化社会に向いてないなと感じる。
(でもでも効率化を目指す過程はおもしろいのから、なかなかはがゆい)


遠くを見ていたい。

そんなことをこの鉄檻の中で願ったって、叶えるのは難しいだろう。


はあぁ…



肉体で遠くを見つめられないのなら、
こころだけでも、遠くを見ていたい。

外界が注意を逸らしてくるのならば、
内面だけでも、今の自分と向き合っていたい。

だから僕は、絵を描き続ける。
はるか先にいる、なりたい自分を夢見ながら。
そして少年のような眩しい憧れが、東京という重力に飲み込まれないように。

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