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絵を描きたい理由
カメラを持って街に出かけたいなて思う。
靴を履き駅に向かい、気になるものを探してみる。
店の前に並ぶ売り物を、パシャリ。
カフェで注文したレモネードを、パシャリ。
しかし、どこにシャッターを切ってもあまり上手く撮れない。
技術がない、着眼点がイマイチ。
まあそうなんだろう…
でも、それとは違うモヤモヤがある。
どこか心がしっくりこないのだ。
なんでだろう。
写真は嫌いじゃない、大好きである。
そしてせっかくの休日だし、好きなことでリフレッシュしたい。
でもなぜ、シャッターを切っても、納得がいかないのか。
各駅停車の電車を待つこと数分。
乗る予定のない急行電車が出発し始めるなか、ふと気づいた。
おそらく、被写体があまりにも近い。
自分が注意を向ける先が、あまりにも近いんだと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1717221478496-oX41EPR9UZ.jpg?width=1200)
一番遠い場所で、およそ10m先。
なんだかとても近くて、本当に見たいものじゃない気がする。。
(撮影機種:α7R IV + CONTAX Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.7)
振り返ってみればそうだ。
一人で撮影するとき、わりと衝動的に撮影していた気がする。
なにか刺激を…なにか目を惹く撮影対象を…
5m先の刺激に、自分を癒して欲しいのだと思う。
なぜなんだろう…理由はとっても単純。
こころにぽっかりと空いた寂しさを、癒したいからなのだろう。
寂しさから目を逸らしても、それは消えないのにね。
じゃ、自分の寂しさを紛らわす方法ってなんだっけ…。
気づいたら乗っていた各駅停車で、
はるか先で成長する積乱雲を見つめながらぼーっと考える。
積乱雲…雲…空…
昔から雲が好きだったことを思い出しながら、
車窓から雲を眺める自分に意識を戻す。
そうだ、自分は雲を眺めて、遠く遠くの世界を夢見ていたいのだった。
遠い遠い雲たちを眺めて、空を青さを夢見ていたいのだろう。
そして東京という、上を向けば人にぶつかる街は、
きっと空を眺めるのに向いていないのだろう。
ぶつかってくるのは、人だけではない。
遠くを見ようとすると、目先の広告や売り物が注意を逸らしたり、
スタバの狭い机が思考の幅を狭めてくる。
つくづく、効率化社会に向いてないなと感じる。
(でもでも効率化を目指す過程はおもしろいのから、なかなかはがゆい)
遠くを見ていたい。
そんなことをこの鉄檻の中で願ったって、叶えるのは難しいだろう。
はあぁ…
…
肉体で遠くを見つめられないのなら、
こころだけでも、遠くを見ていたい。
外界が注意を逸らしてくるのならば、
内面だけでも、今の自分と向き合っていたい。
だから僕は、絵を描き続ける。
はるか先にいる、なりたい自分を夢見ながら。
そして少年のような眩しい憧れが、東京という重力に飲み込まれないように。
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