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人と生きる

写真を撮るのは好きだけれど、被写体はほぼ風景。
「人」を撮ることができない。

人に自分から近寄らないことになったのは、私が4歳の時から。
おしゃべりで人懐っこい弟が、私の入園の面談みたいなもの(引っ越し族だったので、きっと途中入園だったのかな。)で、なぜか一緒について来て、私を差し置いてしゃべりまくっていたことを後から親から聞いて、これがきっかけだと決めつけている。この出来事は、故に私の記憶にはない。

その時、自分はつまんない人間だと決めたみたいだった。

中学、高校、大学、社会人になっても、結構いい歳の大人になっても、このクセはこびりついていて、人に好かれたいくせに人の輪に入ることも出来ないし、勇気を出して入ったかと思うと、パーティはとっくに終わっているのに、ひとり仮装したまま終了の合図がいつだったのか分かっていない有様。

友達いないなぁ、と忘年会シーズンになると思う。見事に誰からも誘われないから。まあ、それでもいいんだけど、でも、一緒に旅行に行く友達とか、本当にどうでもいいことをしゃべり倒す友達とかは欲しいなと最近は素直に思います。はい。

そんな時、こんなご時世ですが、壱岐へ行きました。島。

その宿の料理長さんが忘れられない。
たまたま料理長が目の前で出してくれるカウンター席。食材の話を色々聞いている間も楽しかったけど、多分、横にいた母が食べ終わった後、90度にからだを曲げて料理長に向かって「本当に美味しかったです。ありがとうございます。」と言ったのを、私もしっかり見ていて、多分、その言い方が刺さったのかな。朝ご飯の時も、宿を出る時も、ふと見ると料理長がいて、私も(多分)満面の笑みになっていたに違いない。ふいに「また!」という言葉が口から出たら、料理長も、「また!」と言ってくれたのでした。この短い言葉のやりとりがどうしても忘れられなくて、旅から戻ってからもずっと今も、この場面を反芻している。

2か月ほど前にも、前から知っている人なんだけど、じっくり話す機会があった。ある薬草を使った商品を開発して販売しているのだけど、その意図は、その薬草を栽培する人が老齢化して減っていて、自分が出口を作ることで、経済的なハードルをなくし、栽培の仕事をしてくれる人が現れその薬草が守られていくことだと聞いて、彼女がやっている仕事への熱量は感じていたけど、そこにある想いに、くさい言い回しだけど、感動した。

それと、三浦春馬。
私が語るまでもないけど、今でも彼の記事や映像を目にするたび、尋常じゃなく心が反応する。その存在からあふれ出る気は、徹底的に「人」へ向かっていて、「あなたは今の生き方で本当にいいんですか?」と言われている気がして仕方ない。

自分自身のことが好きになれないでずっと生きてきたけれど、同時に自分の好きになれないところはどうにかしたいとずっと意識はし続けてきたので、意識し続けることによって、何気ないひとことや、ものが落ちる瞬間とか、朝の太陽を見た瞬間とか、あ、そうだ、と気づきが起きて、徐々に徐々に、自分が溶けていくのが分かってきているこの頃ではある。

その続いている人生の過程で、ようやく「人」に向かいたいなという気持ちになっているのが今なのです。それも、人の心の琴線に触れるような人。誰も、自分以外の人にはなれない。でも、ひとりとして誰かと関わらずに生きる人はいないなら、その人を通して、自分自身を知り、どう生きていくかを見つけていけるような、そういう気をもった人にもっと近づいていきたい欲が出てきている2020年の終わり。

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これからの世界がどう転んでいくのか見当もつかないけれど、人が人を傷つけ、排除しあうことの方がいつも目につきやすいけど、人種や性とか目に見える違いのことを多様性と言っている限り何も変わらない。多様性とは、人の考え方や、同じものを見て感じる、思うことの違い、それだと思う。
私は、一抜ける。
人のことをとやかく言う世界からは一抜けた。

                   *

道の先には、どこか知らない場所につながる海が広がっていて、そこを越えたところには知らない世界がある。良い人になりたい。人としてもっと成長したい欲が出てきた。人生の後半で初めて、人生の醍醐味を感じるかもしれない。

いつか、そういう人たちの話を聞いて、まるでその人に本当に会ったかのように、読む人に響く、本でもつくりたい。


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