5 あきらめた先に見えたこと / はるか

 13週中盤からはとうとう病院に入院となった。妊娠初期よりも4キロ体重は落ちた(体感的にはもっと減っていてもよいものだが)、肝機能も悪化した。
病院では自分自身と、いるのかいないのかもわからないような小さな命を点滴でつないだ。1日に何度も取り換えられる500ミリリットルの点滴。その液体の入ったプニプニとした袋を時折指でつんつん押しながら、このおかげで生きていられるのだなと医療の偉大さに感心した。
一方で、昔から多くの妊婦がこれほどまでに苦しんできたつわりに対する根本的な治療法をいまだ編み出してくれない現代の医療に、そこはかとない憤りも感じた。
 入院5日目ぐらいからは、ポカリスエットなどの液体に加え、病院食のそばやうどんを少し食べられるようになった。少しでも口から何かを取れるようになると体調の回復は早い。
14週目後半にはほとんどの病院食を完食できるようになり、15週前半に退院した。12日間の入院であった。
退院日には激しいだるさも改善され、歩く時もよろけなくなっていた。看護師さんからは
「頑張ったね!入院してきた時はベッドにうずくまってたもんね!顔色も良くなってる。」
と、優しい言葉をかけてもらった。
 コロナ禍の入院は面会謝絶で、後半に差し掛かると誰とも自由に会ったり話したりできないことに寂しさを感じて落ち込んだ。思考力が回復し、落ち込む余裕が出てきたとも言えるのだが。
病院での楽しみは暖かいシャワーと、毎回着替えや飲み物などの荷物と一緒に夫が入れてくれた手紙だ。荷物と一緒に届く励ましの手紙をいつも楽しみに待っていた。それだけに、退院できることはとても嬉しかった。
もちろん自宅に戻ったからといって、すべてが解決したわけではない。あくまで険しい長距離コースの単なる折り返し地点でしかなかった。
 15週以降もつわりは続き、水しか飲めない日や点滴をしてもらいにいく日もあった。それでもどうにか自宅で過ごすことができた。再び病院送りになることを恐怖しながら過ごしていた。
この頃にはきらきらとしたマタニティーライフ?や妊娠と仕事の両立?なんてことを考えなくなった。というより「そんなもの私には存在しないのだ」とあきらめた。
他人の素晴らしいマタニティーエピソードを参考にすることをやめた。ただただ何もできない自分の現状を「そういう時もある」、「今支えてくれる人がいて生きていられるのだから幸せじゃないか」と思うことにした。こうして他者との比較をやめ理想を捨てたことで、漠然とした焦りは感じなくなり、気分的には楽になった。
そして、これまたネットによく落ちている「生むまでつわり」という恐ろしいキーワードも自分事としてとらえ、覚悟を決めた。
 つわり期間を通し唯一の救いだったのは、私は心身ともに大きなダメージを負ったが、お腹にいる子供はすくすくと成長してくれたことだ。私も夫も自分たちでエコーを見て確認することはできない。その代りに、先生が時折流してくれる子供の心音や、くるくる泳いだりばたばたと手足を動かす様子の説明を聞き、子供の存在を感じることができた。
 正直自分のことでいっぱいだった私は、ほとんど子供に思いを馳せることなどなかった。それでも18週ぐらいから「内臓がぐにゅぐにゅ激し目に動いたのか?」という程度の小さな体動を感じる様になり、もう一つ自分ではない命が体内にあるという神秘を実感し始めた。
(続く)

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