まさかの始まり

 「人生には三つの坂があり、上り坂、下り坂、そしてまさか…」などという文言を聞くことがある。ドラマの結婚式シーンで、どっかのおじさんがするスピーチみたいなあれだ。
 私はとっさの対応というのが苦手なため、特に「まさか」については出現数やそれぞれの規模なんかを教えてもらえるならどれだけ過ごしやすいだろうかと考えてしまう。もはやそうなれば「まさか」ではないのかもしれないが。
 今のところ、大小の差はあれども、自分の人生の「まさか」の多くは子育て期間に集中しているのではないかと感じている。
 私が佐賀から遊びに来た友人と会うことにしていたその日、朝起きてみるとひなちゃんは39度2分の高熱を出していた。
(こんな日に?)
と正直思ってしまったが、保育園に行くようになり風邪を引くことが多くなっていたため、比較的小規模の「まさか」な事態であった。
 一先ず夫とひなちゃんを小児科に連れていき、コロナやインフルエンザ、アデノウイルス、溶連菌といつも通りの検査をすることとなった。
 大泣きするひなちゃんを不憫に思いながらも心を鬼にし、鼻と喉に綿棒を突っ込まれる検査を受けさせるべく体を全力で抑えつけた。
 両方の検査が終わり
「もう終わったよ、」
と声をかけると、ひなちゃんの喉から
「こぽこぽ、ごぼごぼごぼ」
と沸騰するような音が聞こえ
「あれ?大丈夫?」
と言いかけたその時、ひなちゃんは大きな口を開けぶわっと吐き始めてしまった。
 私はタオルを用意することすら忘れ、ただただ呆然とひなちゃんを抱っこしたまま動けなくなった。何かで拭かなければ、でもこの常態のひなちゃんを不用意に動かして良い物かと様々な考えが瞬間的に浮かんでは消えていくばかりだった。
 口から波の様に次々と噴き出してくる消化途中の何かがひなちゃんの服と私の服に生暖かく広がっていく様子を感じていた。
 第5波くらいが過ぎたころようやくひなちゃんも落ち着き、看護師さんが救助に来てくれた。
 聖母マリアのような包容力も、慈悲深い心も持ち合わせていない私は
(おいー、どうするよこれから!え?困ったな。ほんの数分前に戻っていろいろ対応をやりなおしたい!!!)
とか思ってしまった。
「大丈夫ですか?」
と苦笑いをする先生に一先ず挨拶をし看護師さんの案内に従い、空いている部屋に退散した。
 まず、私とひなちゃんは水道で手を洗った。それからひなちゃんは持ってきた変えの服があったため夫に着替えを任せることにした。
 問題は私だ。こんな事態を予測していなかったため着替えなど持ってきていなかったのだ。
 しかたなく、タオルで汚れた部分を覆いながら過ごすことになった。
 ひなちゃんの検査結果はどれも陰性で夏風邪という診断がされた。
 こんな「まさか」に備え、子どもを病院に連れていくときには自分の着替えも必要であると学んだ。
 一ついえることは今回まさかな事態であった子どもの思わぬタイミングでの嘔吐も、次同じ状況になれば、予測できる物になりまさかではなくなるということだ。
 次回の喉に綿棒を突っ込む検査では、ひなちゃんの抱っこの仕方に気を付けタオルやビニール袋も用意し迎え撃とうと思う。
 日々まさかを繰り返す中で、あらゆる可能性を想像する力と対応力を身に着けていきたい。
 ただそんなに甘くないのが現実だ。
 このちょっとしたまさかも、ネクストステージと言わんばかりに待ち受けているさらに大きな「まさか」の前座でしかなかったのだ。
続く!

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