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生きるために何をするか?

車の運転が好きで、ひとりドライブが好きな私。

運転しながら、車窓からいろんな人がいろんな仕事をしている場面を垣間見る。

道路の工事をしている人。

郵便配達をしている人。

宅配便を届けている人。

幼稚園のバスを運転している人。

駐車場で車を誘導している人。

当たり前のことだけど、「ああ、そうだよな、いろんな仕事をしている人がいるから、この世の中成り立っているのだよな」と今更ながら気づく。

そして、みんながみんな何かをすることで、誰かに何か貢献できていたり、世の中の役に立っていたり、もっと突き詰めて言えば、求められていたり愛されたりする。

時々、在宅で仕事をする程度の私で、主に専業主婦である私でも、少なくとも夫の日々の暮らしの手助けはできている。

以前、フィンランドから来た若い女の子に、"What do you do for living?"と聞かれたことがあった。

要するに「仕事は何をしているの?」と聞かれたのだが、「生きるために何をするか?」という尋ね方にハッとさせられた。

その時、お金を稼ぐような仕事をしていなかった私は、少し後ろめたい気持ちになった。

そして、それから何度も「私は生きるために何をしているんだろう?」と自分に問うてみた。

その時は答えが見つからなくて、情けない気持ちになった。

ずっとやりたかった翻訳の仕事やガイドの仕事も結局まだできていないし、人生も後半になって、私は何をしているのだろうと少し焦りも感じながら、悶々としていた。

「生きるために何をするか?」という問いは、

「自分の存在価値は何か?」という問いに結びつく。

何年か経ってから友人にその話をすると、彼女はこう言った。

「今は外でフルタイムの仕事をしてないけど、そのことで引け目を感じることなんかないよ。確かに外ではお金を稼いでないけど、夫がちゃんと仕事ができるように毎日家事をきちんとして、夫が生活しやすくなるようにサポートしてるし、子どもを産んで立派に育て上げたという大きな仕事をしたんだよ。これをお金に換算できるとしたら、相当額になるはずだよ」と。

「じゃあ働きながら主婦も子育てもしている人はもっとすごいんじゃないか」という言葉が出かかったが、彼女が言ってくれた言葉に、少しは胸を張っていいか、と思うことにした。

私は家事が得意ではないし、お料理のセンスもないから、時々申し訳なくなって「ダメ主婦で、なんにも役に立てなくてごめんね。私が明日死ぬとしたら、おいしいものをあまり作ってあげられなかったことが心残りになると思う」と夫に言う。でも先日「それでも毎日お弁当を作ってくれてることは本当に助かってる」と夫が言った。その言葉に少し救われた。

そして、今日、友人を病院に送り迎えする途中、また車窓から働いているいろんな人たちを見て「みんな何かのために誰かのために頑張ってるよな、そうだ、私も誰かのために頑張ってるよな」と思った。


「生きるために何をするか?」じゃなくて、

お金じゃない何かのために私は生きる。

それでいい。







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