和声③

今日は予告通り、「和声」という表現が定着した理由について記事を書きます。

まあ一般的過ぎる話なので、ご存じな方はスルーしてください。

いわゆる「藝大和声」が書かれたことによる影響です。

この本、本当のタイトルは違うのですが、一般的にはこの呼び方でしか呼ばれない。今では藝大でも使われていないのに(笑)。ただそう呼ばれる、ということはそれだけの浸透度があったということでしょう。

たぶんそれほど深い意味は無かったんですよ。普通に訳すると「和声」の方が近い、という位の理由でしょう。欧米言語では「法」は付きませんから。

でも「対位法」も「法」は付かないんですよね。日本語に訳す際「法」を付けたのは、「法」がないと意味不明な言葉になるからかと。

「法」を付けなくてもなんとなく分かる「和声」との違いはこの辺にあるのでしょう。

ただやはり不親切な点は否めないだろうと考えています。共通の土台があるからこそ分かる言葉になってしまっていて、権威的な雰囲気すらある。

正に今のクラシックの環境そのまんま。

まあそこまで考えていなくても、この影響で「和声」を「和声」という表現で学ぶから、クラシック畑の方は「和声」と呼ぶのに対し、「和声」という表現が一般的でないポピュラー畑の方は「和声法」とも言うのかと。

ポピュラーの方で「藝大和声」を学んだ方はほとんどいないでしょうから。

自分としては「和声」はある意味「規則」なのと、対応する言葉に「法」が付いている以上、日本語の訳としては「和声法」の方が適切と考えています。

まあこんな話はあまり音楽とは関係ないので、明日はもう少し音楽的な話を書きたいと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。