リズム感⑮

一日飛ばしましたが、では音楽教育からなぜ「リズム」が「排除」とは言わないまでも、ほとんど顧みることがない事情ついて考えていきたいと思います。

一つには「再生産」の問題があると考えていますが、その点はまた後日改めて。

今日はもう一つの問題について考えたいと思います。

というのも今日述べる内容は、2つ目の理由とも絡んでくる話だからです。

例えば「和声」であれば理論的に明確なんですよ。もちろんその中にも色々な論争があることは承知していますが、一定の枠内で語られることがほとんどでしょう。

つまり一定の「前提」があって、その中での議論になっている訳です。

旋律についても「和声」ほど、明確な体系はないものの、様々な研究がなされています。

ただ「リズム」ついてはそういった基盤がないんですよ。

もちろんジャンルによって語られることはあります。

ただ、どちらかというと「この音楽のリズム」について、という考え方をされることが多い。

包括的に「リズム」を語る「言葉」が存在しない。

言い方を変えると一般的に共通認識となるような、「文法」であるとか「理論」といったものがない。

で、この理由の「無さ」こそが音楽教育での「リズム」の貧困につなかる訳です。

ただ、今までの話、かなり抽象的であり、もう少し丁寧に説明する必要があると思いますので、改めてこの点について補足していきたいいと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。