DTM108

昨日はDTMの発展と共に、音楽理論に沿った曲が量産される危険性について書きました。

今日はその続きです。

まあそれでもいいのかもしれないんですよ。

聴いて心地よい曲だけ作っていればいい、というのも一つの考え方です。

ただ、以前から書いていますが、音楽理論は、帰納法で作られているものであり、かつ出現頻度の低い用法は抜け落ちやすい傾向があります。

簡単に言うとこれまでの音楽を分析した結果として作られたものです。

そこから新しいものが生まれる余地はないんですよ。

理論通り作られるから。

そうすると、理論自体が固定化されます。

実際には音楽理論というのは変わっていくものなんですよ。理論から外れたものでも出現頻度が高くなれば、音楽理論が書き換えられます。

例えば「Just The Two Of Us進行」なんて最初は人間が思いつかなきゃあり得ないような変な進行です(丸サ進行は出来るかもしれないけど)。

そういう可能性を摘んでしまう可能性があるんですよ。

これも何度も書いている話ですが、音楽理論なんて壊すためにあるものであって、その通りにやっているだけでは同じところを回っているだけで、何も新しいものは生まれない。

もちろん新しければいい、というものでもありません。

自分自身新しいことをやろうとして失敗することの方が成功することより遥かに多い。

ただ、そういう「チャレンジ」がないと音楽が停滞してしまう。

まあ自分が音楽を進めているかどうかは分からない、というよりほとんど進めていないかもしれない。

でもその心構えを忘れてしまえば、ミュージシャンとして終わりだと考えています。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。