昭和歌謡⑲

昨日、「昭和歌謡」という表現がありながら、昭和の曲で今歌われている曲、明らかに「昭和歌謡」ではない、ということを書きました。

良く考えてみると、平成になって音楽が急に変わった訳でもなく、まあ当たり前のことかもしれません。

自分自身、同時代的に昭和の曲を聴いていた訳ではないので、あまり不思議な感覚を感じませんから。

昭和の終わりと平成の初めとの間に音楽的な断絶は感じられません。まあ何か大きな出来事があった訳ではないのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。

日本ではむしろ1998年以降とそれより前との方が断絶的な影響が発生している。

ただそう言ってしまうと、「昭和歌謡」というものが単なる「虚構」となってしまう。

ただそれだとこれまで書いてきた意味がない。

まあそれは別に構いませんが、この言葉には何らかの意味(印象的なものも含んだ)なり定義があるのでしょう。

まあこれまで書いた通り、単なる商売上の理由なのかもしれません。

多分その側面は間違いなくある。

ただ、それだけか、と言うとたぶん違っている。

というのも、単に商売上の理由で作られた言葉はそうそう長続きするものではないからです。そういう言葉はすぐになくなるのが普通。

その言葉によって引き起こさせられるなにかがあるからこそ残っている。

そして「昭和歌謡」という言葉がここまで広まっているのには、それ相応の理由があるはずです。

なので明日以降、もう一度「昭和歌謡」という存在について考え直してみたいと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。