ライブ⑪

これもライブではなくコンサートの話ですが(この場合単なる呼称の違いでしょう)、昨日書いたクラシックにおける「一回性」の問題、ロックやポピュラーでも一緒でしょう、という見解もあるでしょう。

もちろん正解です。

もっと言うとクラシックよりロックやポピュラーの方が強いかもしれません。

ただ一つ大きな違いがあります。

それは聴き手の問題です。

些細な演奏の違いを求めて聴きに来るクラシックの聴き手と。オリジナル曲が聴きたいロックやポピュラーの聴き手では「聴き方」が違ってきます。

完全にリアレンジしていれば別ですが、ロックやポピュラーの聴き手はそこまで些細なことを気にして聴いたりしない方の方が多いでしょう。

そういう意味では昨日も書いた通りクラシックの聴き手の方が変則的。

昨日の話とも重複しますが、こういう要素があるからこそ、Glenn Gouldはコンサートを辞めたのでしょうし、だからといって通常のクラシックの聴き手の「聴き方」が悪いとも言えないでしょう。

単なる価値観の違いでしかありません。

ただ、個人的な感覚からいうと、クラシックの聴き手はやはり細かいところまで聴きすぎでいる印象です。

どちらかというと木を見て森を見ず、という感覚。

ジャズと違って全く違う演奏とは根本的に違っているのはやはり「譜面」の問題でしょう。

中には譜面を無視したかのように突っ走る指揮者もいますが、それは昨日も書いた通り、評価のある方にしか出来ません。

評価がまだ定まっていない指揮者であれば、それは単なる暴走としか捉えられない。しかもそういった指揮者では振るオケのレベルも下がりますから、なおさらきつい。

ここにも「聴き手」の意味合いの強さが良く分かります。

結局のところ「聴き手」がどう感じるか、それだけの問題ですから(笑)。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。