昭和歌謡⑬

今日は予告通り、昭和に作られていない昭和歌謡的な編曲作品を見つけたので、その点について記事にしたいと思います。

今でも「昭和歌謡」的なものが作れるいい例だと感じたので。

曲はJUJUさんの「東京」、編曲は蔦谷好位置さんです。

2018年の作品なので、もはや平成ももう終わり。

決して曲自体が古い、ということではありません。サビの部分の転調は「昭和歌謡」らしさは感じないのに、それでも「昭和歌謡」っぽい。

もちろん全曲を通じて、ということではありません。

さすがに今更そのまま作る方はいないでしょう。イントロのヴィブラフォン系の音はややその雰囲気を感じさせますが、さすがに1コーラス目のサビ前までは今の曲。まず1コーラス目のサビの前の部分以降が「昭和歌謡」なんですよ。

あのサビ前、いかにも「昭和」な弦。

サビに入ってからのブラスといい弦といい、明らかにごちゃごちゃ感のある、「昭和歌謡」的な編曲をしている。

あと歌い方も意識しているんでしょう。「昭和歌謡」を。一段とねっとりと歌ってますよね、JUJUさん。

で2コーラス目からはこれでもか、という風にたたみかけてくる。弦のピチカートがいかにも「昭和」という位入ってくるところに入ってくる。

MV見ても、この時代にあんな理容店はないだろう、という位の店。

というか父親のシーン自体がほぼ昭和。

完全に「昭和歌謡」を意識して作っていますよね。

ただこれも昨日書いた通り、この時代だから出来たんですよ。

もう昭和が遠くなったから、昭和が客観視できる。

あえてノスタルジックなものを作りたいが故に、あのような編曲にしたのでしょうし、そういう歌い方にした。

まあJUJUさん自体「昭和歌謡」好きですし、そう考えるとそれほど不思議な話でもないような気もしますが、JUJUさんのオリジナルでこういう曲は他に思いつきません。

JUJUさんの場合「昭和歌謡」のカバーをしているから、こういう作品も必要なのかもしれません。

ただ、こういう曲を聴くと、やはり「昭和歌謡」とはジャンルでも無ければ、作品それ自体を表している訳ではないことが良く分かります。

敢えてこの時代、「昭和歌謡」を狙う理由はどこにあるのかという点も含め、明日は「昭和歌謡」がジャンルとして位置付けられるのか、その辺をテーマに記事を書きたいと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。