犠牲の上に成り立つものは美しい ・『昼顔〜平日午後3時の恋人たち』をみて
今更ながら『昼顔』ドラマ版と映画版を全て観た。特にりかこさんと加藤の恋は貴婦人と貧しい夢追い人って陳腐な設定ながらも美しい(吉瀬美智子さんと北村一輝さんが美しかったせいもあると思うけど)。結局罪の恋は甘美なのだ。
のりこや姑、映画版のオーナーの、愛する人を奪われた側の目線が入るところが面白い。ここで視聴者は冷や水をかけられる…というか、「そんな素敵なもんじゃないよこの恋は〜」と突きつけられる。それでもやっぱり思ってしまうのだ。相手の妻や夫、そして周囲からの信頼を犠牲に成り立つ不倫の恋の物語が素敵なように、何かの犠牲の上に成り立つものって、美しく、価値があるんだろうな、と。
リアルファーも皮も同じで、使われている動物の、そしてその可愛い動物たちの皮を剥がす人たちの犠牲の上に成り立つ美。だから人はそれらをほしがるのを簡単にはやめようとしない。
私もそんなキラキラしたものに酔ったことはあるけれど、やっぱり犠牲はこころのある、人や動物じゃないほうがいい。幼稚な"自由"を犠牲にして得る安らぎと愛、そして相手に渡す愛、それもまた美しいよね。私はその中で生きていきたい、赦されることが叶うなら。
※『昼顔』自体はむしろ、私がいうような罪やら犠牲やらじゃなくて、愛を知らずに結婚してしまった人たちが純粋に愛を見つける話なのだと思う。とくにりかこが愛のない結婚で得たものがお金と永遠の安定だけじゃあまりに味気ない。だけどそれを選んだのは結局のところりかこなのだよな。
ただ、りかこの子供たちにとっても、お絵かき教室を営む加藤と貧しい中でも楚々としたりかこの娘として生きたほうが幸せだろうになあ、そんな未来があったらよかったのにと思う(とはいえ、右手とりかこを失った加藤は美しいのであれでよし)。