見出し画像

骨格標本や剥製を作る博物館ボランティア団体 野生動物を弔いながら情報を後世につなぐ役割 西澤真樹子さん〈前編〉

 6/8放送は「なにわホネホネ団」 団長、西澤真樹子さんの前編でした。
 同団体は約20年前に結成され、主に哺乳類の死体から毛皮や骨格標本を作ったり、鳥類の剥製を作ったりして、活動のホームグランドである大阪市立自然史博物館などに収めています。現在の団員は小学生から高齢者まで、その数約470名。おそらく世界最大の標本ボランティアサークルとなった同団体の活動内容と、そのリーダーである西澤さんが博物館学と出会ったきっかけなどをうかがいました。

「学校の理科室」に一目惚れし「博物館」に出会う

 私が団長を務めている「なにわホネホネ団」は、大阪市立自然史博物館で活動している標本作成サークルです。博物館にはさまざまな自然のものを収集し、標本として遺し、未来につなげていく役割があるのですが、日本の博物館では専属の技師を雇っているところはあまりなく、数少ない学芸員がなんとか頑張っているのが現状です。私たちの博物館も同様で、ある時冷凍庫を見たら大量の鳥と哺乳類の死体が凍っているところを発見し、このままでは誰も見たり使ったりできないので、私たちでなんとか標本作成のお手伝いができないかと思い活動がはじまりました。現在団員は小学生から年配の方まであわせて470名ほどになりました。
 
 入団の条件として、まずタヌキなどの中型哺乳類を一頭丸ごと一人で最初から最後まで皮を剥く、というテストを受けていただきます。みなさん、初めはやる気満々で来られるのですが、やはり生まれて初めて挑戦される方も多く、道具に慣れていなかったり、手先がおぼつかなかったり、思い込みから勘違いしたりと、さまざまな事態が起こります。サクサクと進めてお昼ぐらいに「おつかれさまでした!」と帰って行く女子中学生もいる一方、大人の方が意外に手こずっている印象です。
 
 そもそもわたしが博物館に関心を抱くようになったきっかけは、中学高校時代の「理科室」でした。すごく面白い生物の先生がいらっしゃったのですが、先生がいつもいる「理科準備室」には虫や鉱物など授業で使うあらゆるモノが雑多に置いてあり、今思えば博物館のような空間でした。その混沌とした雰囲気に惚れこんでしまい、この理科室のようなところで一生暮らすためにはどういう人生を歩んでいったらいいんだろうと真剣に考えたのです。

山梨県都留市で動物と触れ合いながら「博物館学」を学ぶ

 その後大学で「博物館学」に出会うことになるのですが、それは大学時代のだいぶあとの方で、入学当初は「博物館学」という言葉すら知りませんでした。進学先はもともと大好きだった野生動物が身近に生息している、自然豊かな山梨県都留市の大学です。朝、畑仕事をしてから大学に行き、午後は山に登って動物を観察してそのまま泊まり、朝になると山を下りてコンビニでアルバイトをして、また大学に行くというような学生生活で、本当に最高でした。野生動物が大好きでしたが、その研究者になるというイメージはまったくなく、どちらかというと、この小さい生き物たちの計り知れない面白さを多くの人に伝えることに強い関心がありました。後に博物館と出会ったとき、まさに「わたしがやりたいこと」がここにあると確信したのです。
 
 骨格標本を初めてつくったのも大学時代です。都留市の里山にはさまざまな野生動物が生息しているのですが、市内の子どもたちは間近に暮らしながらも実際には見た経験はほとんどありません。そうして先輩方が始めたのが、地元の小学生たちに野生動物を観察してもらう「うら山観察会」というサークル活動です。私もサークルに入り、観察したものを「うら山通信」という会報に描いたりしていました。あるとき、観察の補助教材として動物の標本を使ってみようということになりました。例えば、イノシシが掘り返した跡を子どもたちに見せたときに「こういう頭をしてこんなふうに鼻が強いから掘り返せるんだよ」と標本を見せながら説明する方が説得力が増しますよね。そこで、猟師さんからイノシシをいただいて実際に手探りで標本をつくってみたのですが、それはもう、お料理と同じようなレベルのものでした。

博物館アルバイトから「なにわホネホネ団」団長へ

 その後、2001年に大阪に移り住み、現在の職場である大阪市自然史博物館に関わるようになりました。博物館にはいろいろな仕事があります。学芸員さんという根幹のお仕事をする人もいれば警備員さん、事務員さんもいます。私は現在、「博物館友の会」を運営するNPO法人、大阪自然史センターに所属しています。事務所も同じ建物の中にあります。最初の頃は、博物館内のミュージアムショップで働いてみたり、研究室のデータ入力をしたり研究費で標本をつくったりと、博物館に関わるありとあらゆるアルバイトをしていました。とにかくもう、トイレ掃除でもなんでもいいから、博物館で働きたいと思って潜り込んだわけです。
 
 アルバイトに入り1年たった頃、せっかく博物館に毎日来ているのだから、仕事が終わる5時以降に標本づくりをきちんと勉強したいと思い立ち、お手伝いしていた動物研究室の学芸員さんに「標本づくりを教えてください」とお願いしました。それを面白がった人たちがだんだん集まり、「夜に標本をつくる会」というような集まりになっていったのです。まるで地下活動みたいですが、標本づくりは、どうしても「臭い」とか「気持ち悪い」と言われることが多いので、昼間より夜やる方都合がいいという事情もありました。
 
 転機になったのは、2003年に博物館で開かれた「大阪自然史フェスティバル」です。これは文化祭のような催しで、博物館で活動しているさまざまなサークルに参加の呼びかけが行われ、私たちも参加することになったのですが、その申し込み用紙に「団体名」という欄があったのです。当時のメンバーで考えて、まずは「ホネホネ団」という名前を思いつき、大阪だから「なにわホネホネ団」にしよう、ということになりました。こうしてイベントに参加するために、私たちの地下活動に名前がついたわけですが、結成から早くも20年以上が経つことになります。
 
 本当に部活のような活動から始まったので、そもそも設立趣旨のようなものは存在せず、自分たちが動物を触って標本づくりの技術を身につけたいという欲求のためにできた団体です。当初の団員は主に博物館内の同じ研究室で働いていたアルバイト仲間でしたが、館内には「ジュニア自然史クラブ」という中高生の集まりもあり、ここに所属する子どもたちも少しずつ参加するようになりました。
 
 具体的な日常の活動としては、月に2回、週末に哺乳類の標本をつくる日と鳥類の剥製をつくる日があり、この2日間がメイン活動日となっています。その他に平日にも月2回程度、できあがった骨格標本をクリーニングする作業をやっており、最近はこれをやる人たちを「カリカリ団」と呼んでいます。
 
 私たちがつくるのは研究用の標本なのでなるべく小さくコンパクトにして収蔵庫にぴちっと収める必要があり、展示目的ではありません。とはいえ、骨の企画展があれば展示されることもありますし、他の博物館から展示の企画があるので貸してほしいという依頼があれば、貸し出されていくこともあります。私たちの手掛けたものが他の博物館に行くと、とても気分がいいです。
 
 その他の日常の活動として、動物の死体を拾いに行ったりもします。現在日本では鳥獣保護法があり、また、保全の観点からも自分たちで生きた動物を自由に採集に行くような、昔の博物館スタイルの標本集めはしづらくなっています。したがって、基本的に死体をもらうか、拾うかがメインの収集方法になります。窓ガラスにぶつかった鳥、交通事故で死んでしまった動物があるという情報が入れば拾いに行きますし、送っていただくこともあります。また、動物園や水族館で死んでしまった動物や鳥たちももらいます。動物の死体は焼却処分になってしまうことが多いのですが、お近くに博物館があればひと声かけていただくと、そこから第2の人生を歩むこともあることをお伝えしたいです。

動物の命を大切に弔う「標本づくり」の魅力

 骨格標本をつくる過程では実に色々な発見があります。私たちと同じように動物も病気になるのですが、からだの変なところが膨らんでいるなと思って解剖を進めると、それは骨までがん化して変形していたことが原因でした。オスとメスの両方の機能をもっている内臓を発見したこともありますし、単純に直前まで何を食べていたかが分かるのも面白いです。
 
 思い起こせば、活動を始めた当初、「動物の死体をもてあそんでいるのではないか」といった批判をいただくこともありました。標本作製講座をやろうとしたら抗議が殺到して中止せざるを得なかったこともあります。しかし私たちは動物たちの尊厳を傷つけるつもりはまったくなく、むしろ亡くなって博物館に来てくれた動物たちの情報をいかに後世に伝えていくかに心を砕いているのです。長年活動を続けてきたため、最近はこういったミッションを広く理解していただけるようになり、抗議を受けることも少なくなりました。
 
 ホネホネ団の団員は老若男女さまざまな人たちがいて本当に面白いです。特に最近「若」の小学生がどんどん増えているのですが、みんな本当に生き物が好きで、生死を問わずという感じです。それは小学生にしては飛びぬけた感覚のようにも思われますし、学校では少し浮いてしまうような子たちかもしれません。でも、博物館にはそういう人しかいないので、みんなでギャーギャーいいながら亡くなった動物をみて、可愛い可愛いと言っています。まさに、明るく楽しく供養しているのです。

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉
「なにわホネホネ団」の活動の中心である動物遺体の収集や標本作製は、私たちの日常生活と一見つながりがなさそうに見えるが、西澤さんのお話をうかがうなかで、歴史や文化を未来に遺していく非常に大切な仕事だとあらためて知ることができた。「なにわホネホネ団」誕生時に「団体設立の趣旨」などなく、動物のことが「生きていても死んでいても大好き」という感覚をもった人たちが自然発生的に集まったというのも面白い。こういったゆるやかなネットワークは実はとてもしなやかで逆境にも強い。それゆえ結成から20年もの長きにわたり活動が継続され、今では470名もの団員が集う大きな団体になっているのだろう。
その中心にいる西澤さん自身が、一貫して野生動物と博物館への愛情を持ち続け、明るく楽しく活動していることが「開かれた博物館」のイメージをつくり上げるとともに、多くの人を惹きつける魅力となっている。これからもコミュニティデザインのひとつの場としての博物館をますます盛り上げていただきたい。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?