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#165 さらばアンドレス・イニエスタ



ペップ・バルサが初年度からトレブルを達成したのが私が小学6年生の5月。あのブラウグラナのツートンカラーのユニフォームがたまらなく好きだった。

次の年、バルサの黄金期が確立され、ワールドカップでスペインが優勝する頃…サッカー部の中でもにわかに「シャビ派」「イニエスタ派」なんて議論があったりもして。「シャビも好きだけど俺はイニエスタ派かなあ」なんて言ったりして。あの頃、海外で好きな選手を問われれば「カカとイニエスタ」と答えていたのをよく覚えている。
大型補強をよく「サカつく」だの「マスターリーグ」だの言ったりするけれど、イニエスタなんてサカつくでもJリーグには連れて来れなかった。

2018年5月7日、イニエスタにとって最後のエル・クラシコとなった試合のマッチレビューの最後の文で、私はこういう一文を記していた。

「イニエスタ、何かの間違いでJリーグ来てくんねぇかな…」

この一文を完全にジョークとして放るくらいには現実的なものとしてこの話を捉えていなかった。いくら神戸にポドルスキがいたとしても。いくら神戸がバルサとの関係を深めていたとしても。
イニエスタの退団セレモニーの頃には噂として少し挙がってはいたけど、それを噂以上のテンションで捉えてなんかいなかったし。



三木谷浩史会長とイニエスタが機内で握手をする写真から始まったカウントダウンの瞬間は今でも覚えている。
あの日、私は数週間後に迫ったロシアW杯観戦に向けた準備で色々な買い出しを始めていて、ショッピングモールに向かうバスに乗り込んでいた。そこでヴィッセル神戸の配信を見て……イニエスタ獲得が現実のものとなった事を知る。それがちょうど5年前の話である。
たとえそれが決して応援しているチームではなかったとしても、アンドレス・イニエスタがJリーグの地を踏む事……それは叶う事を想像すらしていなかった、ある意味では夢ですらなかったような夢が叶った瞬間だった。


初めてイニエスタをこの目で見たのは2018年7月28日。デビュー戦ではなかったが、これがイニエスタにとって来日初のスタメンだった。



イニエスタがウォーミングアップでピッチにその姿を見せてから、イニエスタの何が凄いとか何が上手いとか…そんな事はもはや全然思い浮かばず、ただただ「イニエスタって実在したんだ…」と思っていた。むしろ、目の前で動くイニエスタを見て、それ以外の感情が頭に入ってくる余裕がなかった。一挙手一投足の全てが特別な瞬間で、あの時は確かに自分がガンバファンでサンガファンで、別に神戸ファンではない事は超越したような感覚に陥っていたような気もする。
その年の11月、ヴィッセル神戸vsサガン鳥栖の試合……正確に言えばダビド・ビジャも来た翌年の試合の方が面子としては強烈なのだが、イニエスタ、ポドルスキ、フェルナンド・トーレス…この3者がJリーグで、それも10年前までは対してそんな大きな存在でもなかったクラブのユニフォームを着て…。サッカーにのめり込むかどうかが分かれる年頃に南アフリカW杯があり、FCバルセロナとスペイン代表の黄金期があった私には、もう意味すらも形容のし難い感動がそこにあった。0-0というスコアや内容以上に、それだけでもう胸がいっぱいだった。


今更ここで、イニエスタのプレーヤーとしての妙を書き連ねようとは思わない。とにかくいちいち巧かったし、一つ一つに感嘆のため息を漏らさせる美技の数々があったが、そこを書き始めるともうNoteが終わらなくなる。
イニエスタがヴィッセル神戸に、そしてJリーグにもたらした意味は大きい。それはイニエスタの前のポドルスキも重大な役割を果たしていたが。とにかく、そこに募る情念は図り知れなかった。Jリーグやクラブのブランド、観客動員、もちろん神戸の個々の選手達への影響もそうだろう。私はガンバ大阪と京都サンガのファンなので、イニエスタはいわば常に「敵」であった。しかし普段見慣れた青黒、或いは紫のユニフォームがイニエスタと競り合う写真を見た時に、それだけで夢心地になった。


外国人ではカカとイニエスタが好き。そう言っていたあの頃の自分は「イニエスタが神戸に来る」「イニエスタが神戸に5年間在籍する」と言ってもまあ信じなかったはずだ。それが自分の応援するチームではなかったとしても、イニエスタにこの国の中で触れられるという幸せな偶然の時間は、それがヴィッセル神戸に関わる人間ではなかったとしても財産になる。
来てくれてありがとうございました、としか言えない。大体、イニエスタに限らず普通の外国籍選手にしても5年間は普通に長期在籍だ。35を超えた選手は誰しもが最期の時へのカウントダウンを走っている。その場所に日本を選んでくれた事、そしてその決断を促したヴィッセル神戸と三木谷会長にも感謝しかない。イニエスタがいる…それだけであまりにも幸せだった5年間だった。

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