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#124 ガンバ大阪検定2021〜カルトクイズ〜の解答と解説

メインブログの方で、ガンバ大阪クラブ創立30周年記念と題しまして……「ガンバ大阪検定2021」というブログをアップしました。
こちらではその解答編をアップしていきます。ですので、まずは問題編の方から見てもらえればと!


Q1→③川崎フロンターレ
2005年12月3日、アウェイの等々力競技場で対戦した。

Q2→②明神智和
この4人が揃っていたのは明神が入団した2006年からシーズン終了後に橋本英郎が退団する2011年まで。2006年はシステムが3-5-2だった事、2010年は常に誰かが、2011年は橋本が多くの期間を負傷離脱していたので、黄金の中盤が猛威を奮ったのは2007〜2009年の3シーズンと言える。

Q3→③山﨑雅人
0-2で迎えた74分にルーカスの縦パスから橋本英郎を経由し、ダイレクトでシュートを決めた。

Q4→②2人
1993年から2005年までプレーした松波正信、1995年から2006年までプレーした宮本恒靖の2名となる。

Q5→④山口智
2000年に5番を背負った宮本恒靖の海外移籍が合意に達して退団する運びになった為に新加入の山口を5番として登録した。しかし労働ビザが発給されず、山口の登録後に残留が決まった事で宮本は2001年と2002年は35番でプレー。2003年から山口は宮本に5番を譲り、宮本退団後はシジクレイを経て2008年から山口に背番号5が戻ってきた。

Q6→①ガンバクラップ
2016年2ndステージ第6節広島戦から実施。直前に開催されたUEFA EURO 2016でアイスランド代表が「ヴァイキングクラップ」として行っていた儀式が話題になったのがきっかけである。③のワニナレナニワは2008年からガンバクラップが導入されるまで行われていた勝利後の儀式で、回文の名付け親は安田理大。

Q7→②19
加入初年度の背番号は19番で、2年目となる2002年は30番。7番になったのは2003年からである。また、4番はジーコジャパン時代の日本代表での背番号であり、27番はプロ1年目となった横浜フリューゲルスでの背番号。

Q8→①片野坂知宏
2000年の夏からガンバに加入し、2001年の退団まで背番号7を背負っていた。ちなみに、遠藤が30番を背負った2002年に背番号7を背負ったのはブラジル人MFのマルセリーニョ・カリオカ。

Q9→④4個
長谷川健太監督の下でのタイトルは2014年のナビスコ杯、J1リーグ、天皇杯、2015年の天皇杯の4タイトルとなる。残る5つは西野朗監督時に獲得。

Q10→④ガンバ大阪
2010年にJ2のジェフユナイテッド千葉、2011年にJ1のセレッソ大阪にレンタル移籍していた倉田秋は、2011年の開幕戦でセレッソの選手としてガンバからゴールを決めた。これが倉田のJ1での初ゴール(J初ゴールは千葉で記録)。また、大阪ダービーでガンバとセレッソの両方の選手として得点を決めたのは倉田とアドリアーノの2人だけである。

Q11→③今野泰幸
36分に藤本淳吾のフリーキックを頭で合わせる形でゴールを決めた。なお、今野は2016年1stステージ第3節大宮戦でも先制ゴールを決めた事で、吹田スタジアムのJ1リーグ戦で初めて得点を決めたガンバの選手にもなっている(ガンバ選手の公式戦初ゴールはACLメルボルン戦での遠藤保仁)。

Q12→①大阪ジョーズ
「大阪城」とかけている事も有力候補となった理由の一つだったが、瀬戸内海にサメが出没する事件が起きて不謹慎という事で没案になった。

Q13→①サッカーダイジェスト
誌面でそのフレーズを使ったところ、ガンバの広報が該当記者に電話をかけて直接許可を得て、公式で使用する事になった。

Q14→③ボルドーレッド
宇佐美貴史曰く「赤のゲレンデかっこいいですね」と言ったら訂正されたらしい。

Q15→②背番号1以外の2〜11までの全ての背番号を背負った。
1996年シーズンまでは背番号は固定番号制ではなく、スタメン選手は1〜11番、ベンチ選手は12〜16番から試合毎に番号を決める事が出来た。加えて今藤幸治は様々なポジションをこなせる選手でもあった事からこのような記録が生まれた。

Q16→②浦和レッズ
2005年は最終節前の時点で首位だったC大阪が5位まで転落した事で3位の浦和が2位に浮上してシーズンを終えた。2014年は逆にずっと首位だった浦和を第33節でガンバが追い越す形となった。

Q17→③FCソウル
宇佐美のデビューとなった2009年はグループステージ、堂安のデビューとなった2015年はベスト16第2戦。会場はどちらも万博記念競技場だった。

Q18→①柏レイソル
1997年の際はホームで1-2で敗戦。2018年は既に柏の降格が決まった最終節で、アウェイで2-4で敗れた。

Q19→③リンス
マグロンはヴェルディ川崎、パトリックは川崎フロンターレとヴァンフォーレ甲府でのプレー経験を持っており、ラフィーニャはザスパ草津からの獲得。

Q50→②浦和レッズ
Jリーグ開幕戦の際の対戦相手であり、2000年代後半はナショナルダービーと呼ばれていた。黒を基調とした限定ユニフォームを着用したガンバは、イ・グノが前半に挙げたゴールで1-0で勝利している。

Q21→④自転車を2回盗まれた
1度盗まれた自転車が帰ってきた後、再び盗まれるという悲劇に遭った。2度目の盗難の結末は不明。当時現役高校生だった宇佐美貴史はガンバの練習場まで自転車通勤しており、その様子は「ガンバTV〜青と黒」の第1回でも映されている。

Q22→③明石家さんま
明石家さんまもサッカーファンとして知られており、サッカー番組のMCを務める事が多い。浪速のイタリアーノという渾名は本並健治がヴェルディ川崎に移籍してからも使用されていた。

Q23→①+1億円
約3億円で獲得し、半年後には約4億円で京都サンガFCに売却した。ガンバが上手くやったのか、サンガが狂っていたのか…。

Q24→①藤ヶ谷陽介
放送日程の都合上、放送時間を延長しての第100回記念スペシャルは前週の第99回で放送した為、正式な第100回は通常回としてGK藤ヶ谷陽介とたむらけんじの対談企画となった。なお、木村敦志も途中から参加している。

Q25→②1997年
提案者は礒貝洋光らしいが、本人はちょうど1997年から浦和レッズに移籍した。

Q26→②ルーカス
ルーカスといえばFC東京から獲得し、2008年〜2010年まで在籍したFWのイメージが強いが、2006年にもルーカスという名前のまったく別の選手が登録されていた。J1リーグ戦3試合にベンチ入りしたが、公式戦出場には至っていない。

Q27→③登里享平
やべっちFCにて発言。登里は大阪府東大阪市の出身であり、中学時代に所属していたクラブは藤春廣輝と同じで、登里の兄が藤春と同級生だったらしい。

Q28→①二川孝広のヘディングシュートがゴールネットを揺らしたが、オフサイドと判定されてゴールが認められなかった
ヘディングシュートがオフサイドと判定されてゴールが認められなかったのは遠藤保仁。なお、④で触れたシクラメンの楽曲タイトルは「必死マン」。

Q29→①井手口陽介
井手口は福岡県出身。食野亮太郎と谷晃生は大阪府の出身で、堂安律は兵庫県である。

Q30→③寺田紳一
この試合が現役ラストゲームであり、アラウージョの近くに走り込もうとしていた松波正信に恨み節を言われるのは今や定番ネタである。

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