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#175 No.4 藤春廣輝



広島戦が終わって少ししてからの事。公開練習に行ったファンの一人がTwitterに写真をアップしていた。どうもその日はガンバTVの取材が入っており、一部選手が毎年恒例ガンバTVアウォーズの盾を授与されていたとの事で、そしてその対象者がダワンと藤春廣輝だった。

一年を通してレギュラーとしてプレーしていたたダワンはともかく、藤春は今季のリーグ戦出場は1試合のみ。その藤春が受け取る可能性のある賞となると、自ずと限られてくる。
候補としては3つが考えられた。一つは唯一の出場となった川﨑戦で、決勝点となるCKに繋がったプレーがベストプレー賞を受け取った可能性。もう一つは若手や外国籍選手まで幅広くコミュニケーションをとる藤春のピッチ外での貢献を踏まえた影のMVP賞を受け取った可能性。そして────。考えられるもう一つの可能性が正解だった場合、それが意味するものは一つしかなかった。


最初に見たのは2011年だった。
前年まで安田理大が君臨し、2011年にはその安田とポジションを争っていた下平匠が左SBの座についた。この下平という選手は非常に良いサイドバックで、その控えとして入団した藤春は目に見えて不器用な選手だったのは当時中学生の自分ですら思った。
なんか絶妙にしっくりこない長髪の黒髪を靡かせながらとにかくスピード勝負。ロマンはあったが一芸特化タイプに見えたというか、スーパーサブというか、相手の右サイドがクソ速かった時のワンポイントリリーフ的な使い方くらいしか想像できなかった。それはこれまでに左SBが安田や下平のように恵まれた印象があったり、彼らが技巧派だった事もより一層、その不器用な印象を強くしていたのかもしれない。


だが、同年の下平が怪我がちだったこともあって藤春は必然的に出場機会が増えたのだが……面白いのが、この不器用な左SBは試合に出る度にみるちるうちに上手くなっていった。
下平が出場可能な状態では恐らく初めてのスタメンだった同年の第31節鹿島戦の事を今でも覚えている。ただただ突っ走るだけだったのが、左サイドをガーッと駆け上がるだけでなく、スペースへの入り方やボールホルダーとの呼吸…その全てのタイミングをいつの間にか見に付けていた。あの試合からガンバの左SBは藤春廣輝の場所となった訳だが、今思い返せば西野朗がガンバで最後に抜擢した男が藤春だった事になる。何より、あの鹿島戦の藤春を見た時、ここまで試合をやる度に育っていく選手がいただろうかと素直に思った。鹿島戦後、BS中継のエンディング…当時のテーマソングであったRADWIMPSの君と羊と青と、駆け抜けていく藤春の姿を見て生じた鳥肌は未だに脳裏に残っている。
多分今でも不器用は不器用なままなのだろう。インスタなんて作るだけ作っておいてロクに更新しない。しなし、積み重ねたものを着実に血肉にしていく……当時のガンバは比較的、エリートしか来ることを許されないような場所だっただけに、その感覚がすごく新鮮だった事を今でも覚えている。


藤春廣輝を一言で表せば、それはひとえに「応援したくなる選手」だった。
藤春が代表デビューした時、お前何目線なんだよという話だが「うわぁぁ、藤春大丈夫かなぁ…」と、ハリルホジッチ初陣というなかなか大事な試合にも関わらず試合内容そっちのけで親兄弟のような目線でテレビを見ていた。リオ五輪の時、普段LINEをしていない友人を含めて「説明せえ」となぜか自分に連絡が5〜6人くらいから来たのも今となっては懐かしい。
…個人的に、藤春の成長を一番感じたのはリオ五輪の直後だったかもしれない。それまでも代表に呼ばれるようになったりして、選手としてのステータスは明確に上がっていたけど……あのリオ五輪が終わった直後の神戸戦で、藤春は神戸サポにまでブーイングを浴びる有様。だが後半から出てきたあの日の藤春のパフォーマンスは圧巻だったというか、ああいう背景とブーイングという屈辱がある中で見せつけたプレーぶりは間違いなく「代表選手」だった。ブーイングが止んだ時、藤春廣輝という選手はここまで来たものかと素直に感じていた。お前何様だよという話ではあるが、リオ五輪で友人がLINEを寄越してきたあの時、友人にどうにか庇えるような文言を探したりして……試合こそ前半のビハインドを取り返せずに敗れたが、あの試合はこれまで、これほどまでに応援しがいのある選手を応援し続けてきた自分すら誇らしくなるような気分にさせてくれた。藤春の成長を追う事はそれほどまでに、いつも新鮮な感慨深さをファン・サポーターに与え続けてくれていた。

言っても人間である。
なんとなく野生味溢れて、なんか無限のエンジンでも詰んでいそうな藤春とて人間である。肉体はいつかは衰え、成長のスピードはいつか鈍化が始まる。血液がレッドブルで出来ているんじゃないかとすら思えた藤春は明確に怪我が多くなったし、ガンバはガンバで黒川圭介や福田湧矢が左SBに入る事が増えた。そうなった時に……既にそういう記事が多く出ているので多くはここでは語らないが、藤春は自らの成長の理由を証明するかのように、練習場での研鑽を惜しまない。そして若手から外国籍選手まで分け隔てなくコミュニケーションを取っていく。
黒川との関係性が良く語られるが、山本悠樹も「ガンバに入って最初に一番喋ってくれたのがハルくんだった」と語るように、新しくガンバに入った選手は藤春を通じてガンバに入っていた。ガンバの練習の様子を見ると、藤春が絡む相手はベテランから若手、そして国籍さえも選ばない。同い年でキャプテンシーに溢れた倉田秋が背中や姿勢で引っ張るタイプだとすれば、藤春は誰とでもバカをやれる人間だったのだろう。そういう人間が一人練習場にいる事がどれだけの意味を持つか。ピッチの出来事しか見る事ができない外野にはしばし心外な言葉を浴びせられるかもしれない。だが、世の中には決して数値化出来ない価値というものがある。それが無ければ今年、唯一藤春が出場したJ1リーグとなった川崎戦であれほどの感動はなかったはずだ。


言葉にこそしなかったが、他でもない藤春自身がそう感じていたと語ったように…もう左サイドを駆ける藤春を見られるのはこの試合が最後なのかもしれないと思った人は少なくなかったと思う。蒸し暑い等々力の夜、ガンバも川崎も、90分走った選手に運動量やスプリントを問うには酷なアディショナルタイム、あの日の決勝点は90分走った藤春のスプリントから生まれた。人間離れした藤春廣輝の才能は、人間として真っ当な、決して当たり前ではない日々の積み重ねの末にいた。


11年経った今、異議を唱えるものはいないだろう。
ガンバの背番号4といえば藤春廣輝だ、と。

ボールを持ったのが遠藤保仁でも、倉田秋でも、その場所が万博でも、パナスタでも、ゴール裏に向かって攻撃する時、テレビの画面の左下…そのスペースの中にいつでも走り込んできた背中には常に「4」の文字が刻まれていた。
これからガンバはもっと強くなるかもしれないし、弱くなるかもしれない。藤春を超える選手が出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。未来の事はわからない。それでもずっと、あの左サイド、ガンバの控え選手がアップをする手前のスペースはずっと背番号4の残像を見る事になると思う。

現役続行を目指すという事でワンクラブマンとして終わる訳ではないだろうが、それでもここまで、レンタルもなくガンバ一筋で生き続けた事が今の時代では尊い。倉田ですらレンタルの年があった訳で、こんな選手はもう2度と出てこないかもしれない。そんな背番号4が駆けた美しくも長く、爆速で駆け抜ける季節をファンという立場で追いつけないのに追いかけられた事は財産と言っても過言じゃない。

感謝しかない。
これほどまでに応援のしがいがある選手を応援させてくれた事に、ただただ感謝しかない。
感謝という言葉で締めるのも陳腐に感じるので、最後にこのNoteはかつて藤春本人が言い放った語彙力を失ったキラーワードで締めたいと思う。


エグい、ヤバい、神、ゴッド‼︎‼︎




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