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シン・仮面ライダー見てきた

 どうも。Twitterやばいぞ死ぬぞという話題も狼少年化しつつある昨今、自分もさんざ懸念するような発言をしておきながらTwitter離れをあまり進められておらず、根本的なネット上での活動自体が低調気味になっております。

 それはともかく、今回はタイトル通り「シン・仮面ライダー」の感想記事です。見た直後に感想を書こうとした段階ではあまりうまくまとまらず、まあ記事としては書かなくても良いかとも思っていたんですが、諸々あってやはり書いておこうと思い立ちました。

 一番大きいポイントとして、本作に関しては(ただでさえ割れがちな庵野作品だというのを踏まえても)世の中の評判が割れ気味な傾向にあるので、ここで自分の感想を書き出しておいて、周りと見比べるのは自分の評価の基準値を明らかにする上で有意義なものかなと。
 もう一つ、ちょうど明日友人と二度目を見に行く事になったので、雑にでも一旦自分の感想を整理しておいて、その上で二度目を見るというのは体験の質を上げられそうだなと。

 そういうわけで以下感想文です。公開から結構経っているので今更感はありますが、ネタバレありの感想になるので気にする方はご注意ください。




 まず本作に関して、公開後流れてきた感想や評判は、圧倒的に「ライダーオタク向け」「これまでのシン・シリーズよりも更にマニアック」という雰囲気の内容が多かった。これまで受動喫煙程度にしかライダーに、というか特撮作品に触れてこなかった身としては大外れの覚悟もした上で見に行ったものの、結果的には十二分に楽しみ、満足感と充足感を抱えたまま劇場を出ることができた。

 最初に全体の感想というか印象を整理すると、作品の中で描かれた「圧倒的な暴力を私有する個人としてのヒーロー」像に対して自分の中で一定の共感や理解を持てたことが特に良くて、映画の内容的にはそこがハマるかどうかがひとつの分水嶺だったのかなと。
 全体的なテーマやストーリーだけでなく、提示されたキャラクター性やシチュエーションにも「おっ」と思わされるものがいくつもあったし、要所要所で見られたキレのある映像と音楽のハマりっぷりもしっかりと盛り上がれるものだった。
 ただし、何もかも最高で見てる間ずっと楽しいというようなタイプの映画ではなかったことも間違いなく事実で、どこまでが意図した演出なのかは判断が難しいものの、テンポやシーンの流れみたいな部分で引っかかりやチープさを感じる場面もかなり多かった。

 他方、先に書いたように「ライダー」作品として、自分は殆どライダーを知らないものと思いながら見に行ったものの、結果として映画の内容には無数の「引っ掛かり」があって、それによって幾つも自分の中の「ライダー」性を引き出してもらえた部分があった。
 思えば両親ともに昭和ライダー世代の人ではあり、ベルト買ってもらって階段から飛び降りて怪我したとかいう話を聞いたり、TVでライダーや昭和特撮の話をしている番組があれば見ていたり、というような事が子供の頃に何度もあったので、見ている間は要所要所で「これはあの時聞いた話のやつだな」と思い出が蘇ってきた。

 シン・ウルトラマンの内容などと合わせて、シン・シリーズでやろうとしていることは概ね「当時の体験のアレンジと再現」なのだろうというのはなんとなく感じていたので、映画の内容から親や周辺情報から聞いた情報が引き出されたこと、「ライダー」の格好良さや「一文字隼人」の存在感・空気感を体験し、それに共感できたことは、それだけで体験としてすごく良いものだった。ひとえにこれが自分の中での満足感や評価につながったのだと思う。

揺らぐ力の使い方が定義するヒーロー

 まずは「ヒーローもの」として描かれたヒーロー像の話として、「人間は力の有無やそれまでの経験にかかわらず”善くあろう”と志し、あるいはそのようにある他者の姿からその心を学び取り、その意思を受け継ぐことができる。その心を持つ個人をこそ”ヒーロー”と呼ぶ」という話だったという理解。
 まさに悪の組織自体がそれを行っている存在と設定されていたわけだけど、暗い体験や過去をもつ個人に対して、その人が力を与えられた時にどのように振る舞うか、という問いが作品全体の前提になっている。
 そこで、「それを踏まえた上でも自らの意思で他人のために善くあろうと思える人」がヒーローだ、という回答は、現代っぽい個人主義の考え方を踏まえた上でのヒーロー像の一つとしてすごく納得できるものだと思う。

 この点、これまでのシン・シリーズ、特にウルトラマンと比べてこちらの方が好みだなと思ったのであえて比較的な事を書いておくと、ライダーには正義としての揺らぎがあるというか、「個人」の存在をまず描いた上で、力を持つ個人の戦い、個人が自分の正しさの元で戦おうとする話だ、というところあって、ここがすごく好みに刺さった部分。

 ゴジラに関しては個人やその力、正義や悪……みたいな話ではそもそもなく、巨大災害とそれに立ち向かう人間の組織、そこに所属して自らの職務に対して最大限の能力で叩く人々の物語だったので全く毛色が違うもの。
 ウルトラマンに関してはヒーロー物でこそあれ、ヒーローの正義そのものを問うような話ではそもそもなく、そういう方向性で読もうと試みるにしてもヒーロー自身の「個人」性がそもそも「外星人」ということでちょっと特殊な扱いで、敵にも味方にも人格や個の意図みたいなものが介入する余地がありまくり……というような、ある意味ややこしい状況。

 その上で、起きていることとしては「謎の超越存在が理由とかよくわからんけどなんか(民意と必ずしも関係なく自己判断で)めっちゃ頑張って地球を守ってくれてる」みたいな状況ではあったわけで……。
 全く野暮なことを考えているのは重々承知なものの、法治とか政治的な正当性とかを考えるとあまりにもダメすぎる状況だな……と思いながら見ていた(特にメフィラス戦)ので、自分としてはうまい感情の置きどころを見つけきれなかったところはあった。

 おそらく、「ウルトラマン」は人間から隔絶した絶対的な善にして人類の守護者である、みたいな大前提がまずあって、その上で……という姿勢で見るべき作品だったんだろうなとは思うので、これは自分の受け取り方とか噛み合い方の問題だとは思いますが……
 ここは純粋に好みの問題として、今回のライダーのヒーロー像が自分にハマっていたという感じでしょう。

色々な意味で込み入ったシナリオと映像

 映画としては目まぐるしい展開に多彩なシチュエーションと込み入った設定、濃いキャラクター性と関係性……といった感じで、楽しく印象に残る要素は色々あった。しかし限られた尺の中に詰め込むためか、要素の繋ぎ方や出し方並べ方みたいな部分は、さすがに粗さと説明不足を感じざるを得ない内容ではあったと思う。
 まずシナリオ面として全体的に説明不足・情報の過不足が激しく、とりわけキャラの背景事情などの説明は最低限未満レベルではあり、見る側に脳内補完の能力が求められまくる内容。意識的に乗りに行かないと萎えるというか覚めるというか、「こいつなんでこんなことやってんの?」と思ってしまいそうなところは大いにあるのかなと。

 また、ラスボスの目的や行動の内容に関しても、正直さすがに人類補完計画じゃねえかとしか言いようがなく、知ってる側としてはハイハイこれねという感じで飲み込めはしたものの、ここも単発映画一発で理解しながら見られるかと言えば相当厳しそうなところ。別に設定完全に理解しないとついていけないような映画でもないとは思いますが……

 また映像としても、全体でのテンションの高低の差がかなり激しく、良くも悪くも独特の空気感があったかなと。
 それこそ一部の戦闘シーンは素晴らしい戦闘曲(楽曲岩崎琢さんならきっと最高だろうと思っていたら最高だった)とアクションのテンポで気持ちよく乗せてくれるところもあったけど、「ここで一気に戦闘に入って盛り上が……る展開じゃないのか……」みたいな感じで、梯子を外されたような感触に陥る場面が結構多い。
 また、流れや展開などを抜きに個別のシーンを見ても「画面が暗い・台詞が籠もってる・カメラが近すぎ……で情報が拾いきれねえ!」みたいな場面もチラホラ。なんとなく見ていて終始気持ちよくなれるアクション、という感じの映像とは言えない。

 ただ、映像の暗さや声の聞き取りづらさなどに関しては原典がそもそもそうだというところもあるようで、実際後日に「庵野秀明セレクション」で初代ライダーを幾つか見たところ本当に暗いし分かりづらい。
 というかセレクションの庵野のコメントでも「闇の中での格闘」に触れていて、更に他のインタビューなども探してみたところ「暗さ」「わからなさ」「その上での格好良さ」に思い切り言及していた。

 今回の映画の趣旨としてはそのあたりの体験を含めて再現しようという試みではあるわけで、「そういうことをしようとする」監督だと分かった上で任せて作らせている作品ではあり、我々もそれをある程度織り込み済みで見に行ったわけで……みたいなところはあるのかなとは思う。

 ただ、当時の視聴者の……というか庵野監督の意識としては、そういう原作の見づらい、見づらくなってしまっていた映像に対して食らいつくように「見てやろう」「聞き取ってやろう」というモチベーションで向かっていたところがあったのだろうとは思うものの、今回「シン・ライダー」に関して見る側が同じモチベーションで見られたか、そもそもそういう姿勢を求められると思って見に行っていたかといえば……。
 見やすい・楽しみやすい作品が多くなった時代にあえてそこを再現するのは、再現や意図を考えるよりもシンプルに違和感が強くて、質が悪く見えてしまうところはあるのかなあと。

 このあたり、脳内補完前提のキャラ描写と合わせて本当に人を選びまくっている作品ではあると思う。覚悟を持って見に来てくださいとは広報上言えないだろうし、作り手側も必ずしもそこまでは思っていなかったのかもしれないけど、完成品は少なからずそういう性質を持ってしまっていた……みたいな感じはありそうな印象。

自己の中の「ライダー」の再発見

 先に書いた通り、本作を見ていて特に印象に残った体験は「自分の中にこれだけの”仮面ライダー”があったのか」という発見を幾つも得られた、という部分。

 たくさんのフックの中で、特に印象に残ったのはやはり一文字隼人というキャラクターの存在。
 「藤岡弘がバイク事故で足折って急遽2号が出てきて、そいつが明るいキャラで作品人気が弾けた」ところまでは有名な話なのもあり知っていて、その話を聞いた当時には「そんな事情アリアリな展開で急に出てきたキャラに主人公が交代して人気出るっての、あんまり体感として分からんなあ……」と思ったのをよく覚えている。
 覚えているだけに、シン・仮面ライダーの一文字にはまさに「わからされた」。あの暗め淡白めのトーンで進んできた作品に急にあんな奴が出てきたら「なる」だろうが! 好きに!

 実際のところ、これがどこまで追体験になっているのかは分からないけど、全体を通して表現されたライダーの格好良さや世界の不気味さ・恐ろしさ、独特の孤独感とかすかな人の温かみなど、「当時見ていた親やその世代の人々はこんな要素を楽しみに感じながらライダーを見ていたのかな」と思えるような場面がいくつもあった。そこへの共感や理解を自分が持つことができたということ自体が楽しかった、嬉しかった……という部分が大きい。

 実際には当時の視聴者の共通体験そのものというよりは庵野の個人的体験の映像化ではあるのだろう(それは庵野のエゴとか作風だという話ではなく、人が作る以上は当然そうならざるを得ない)し、それ自体がやはり人によっては争点というか受け入れられないポイントになりうる部分なのだろうとも思う。あくまでいち個人として、それは共感でき楽しめるビジョンだったし、特別で嬉しい体験が得られたのは間違いない。
 そして、親から聞いたり知識として軽く知っている程度の自分がこの体験を得たのだから、当時のライダーを知っている、体験している人で、特にその視点や感情の波長が庵野と近い人であったなら、その印象がそのまま強調強化された映像を見るという体験がどれほど凄いものになるか。


 そういう意味で、この映画は、一部の視聴者が持つある種のノスタルジーと憧憬をとても強く刺激する、特殊な要素がたくさん詰まった映画だということなんだろうと思う。
 後は各々の視聴者が刺激される要素を持っていたかどうかの問題になるわけで、先に書いたような脳内補完や見る側の姿勢の話に加えてこういう要素もあるということで、評価が割れる作品になっていることについてはある意味すごく納得できる。

 総じて全力擁護するほどの義理というか思い入れまではなく、また評価の分かれるポイントも重々分かるだけに、世評の割れっぷり・低評価者の気持ちや主張も納得できるというところはすごく多い。
 ただ、幾つかの要素が強烈に刺さったということもまた一つの事実で、ある種のカルト映画的な、強いインパクトを残してくれる作品になったことも確か。

 自分の中で、誰にでも勧められる名作だとか自分の中のベスト映画だとか、そういう枠に挙げることは多分永久にないのだけど、直近で触れたコンテンツの中では不思議で強い印象を残す、ちょっとスペシャルな作品になったのは間違いない。


その他未整理の個別シーンに関する感想

 以下、本論に組み込むには邪魔だったけど、「引っかかり」と書いた以上自分がどこに引っかかったのかは色々書いておこうかなというところ。マジの箇条書きの雑感想です。

  • 拘束してわざわざ時限爆弾、すげえ昭和っぽい。なんか昭和時代のドラマは時限爆弾好きなイメージがある(偏見)

    • わざわざ待ち構えているところに飛び降りていって着地狩りされるのちょっとシュールな駆け引き

      • たぶんなんか元ネタあるんだろうなと

  • クモオーグ、出番のわりにやたら印象的なキャラでよかった。ダムとかいかにも郊外という開けたロケーションでの立体感あるバトルはいかにも特撮っぽいなあという印象

    • クモぐらいのテンションと存在感と強さの奴とのバトルをもう2~3パターンぐらい見てみたい

      • 一話完結連作バトルドラマを映画一本尺にまとめてる都合上かどうか、背景事情が複雑でメインの軸に絡む奴とのスペシャルな戦いで埋まることになり、「普通のバトルアクション」「守るべき日常」みたいな要素の描写が見られない問題がある

        • シンウルトラマンでも全く同じようなことを思った

  • コウモリ、強者感に対して負け方がショボすぎる

    • が、後から原作の蝙蝠男の負けっぷりを見てみたら更にショボく、今風アレンジと原作のちょっと抜けた感触の再現の間みたいなところだったのかもしれない

    • 特に説明無くガジェットの新機能が登場して突破する感じ昭和っぽい

  • ルリ子、好きになってしまう

    • 実写ドラマのキャラをなあ……と思っていたが、冷静に考えてレイとアスカ作った人のヒロイン造形に常人が勝てるわけがないんだよね

    • ヒロインにしてバディにして科学者ポジションにしてラスボスの関係者にして……と、要素だけ書き出すとすごい欲張りセット

      • それでいて便利キャラみたいな空気を出すこともなくしっかり魅力的になっていたのですごくよかったと思う

    • 目が光る演出、ほどよく2.5次元的でよかった

  • 以前「シンエヴァもシンウルトラマンも『匂い』が主人公とヒロインの間で次元を超えた個人特定のファクターになってるよね」みたいな話を友人としたことがあり、その意味では防護服云々のシーンも同種の……同種の……?

    • 単に庵野のフェチが出てるだけだったのかもしれん……

  • ウワッ変なテンプレセクシーキャラ出てきた!

    • 漠然としたイメージだけど、なんかボンデージ風な謎セクシー敵、すごく「昭和の特撮の悪役」っぽい感じがするなと思う

    • ウワッ変なテンプレセクシー死んだ!

      • なんらかの原作ネタなのかどうか、許容可能そうなコストで単純に処理されてて笑いそうになった。兵士というか特殊部隊が活躍しているシーンがあるのはよい

      • 銃が当たるのか・弾が通るのかみたいな部分、作品のラインの提示として大事だと思う。各オーグは超常ではあれど隔絶してはいないぐらいなラインという感じなのだろうか

    • たぶん自分の情報の取りこぼしなんだろうけど、サソリは通常弾で射殺(制圧までだったのか?)できて、ハチは違った(っぽい雰囲気)のはなんだったのか。格?

  • ハチオーグ戦、「長時間露光撮影とか撮影技術の工夫でそう見せてるやつ」っぽい映像をやりたかったんだろうな感があり、「ちょっと変」と「ちょっと格好いい」の間ぐらいの画になっていて面白かった

    • ハチに限らず全員そんな感じではあったけど、実写映像で妙な口調・口癖持ちのキャラが出てくるとかなりの違和感を覚える

      • が、今回の映画に関して言えば結果的にそこの引っかかりが各キャラの印象をすごく強めていたような気もする。オーグ勢に関してはみんな出番が短めで、それ抜きにもセリフ少なめの映画だったし上手い調整なんだと思う

      • そもそもキャラ濃い敵役という存在自体がすごく一話完結バトルものらしいというのもある

  • ハチオーグのアジト1回目突入後の飛び降り脱出シーン、当時変身ベルト買ってもらって嬉しくなって変身できる気持ちになって装着したまま階段から飛び降りて怪我したというバカガキエピソードを親から聞いたのを思い出し「これかあ!」という納得と、いや今考えてもいくらなんでもバカでは? と半々の気持ちに

    • 後から調べて当時実際に死者が出ていたらしいことを知り何とも言えない気持ちに。一歩間違えばライダーの間接的影響で自分は生まれていなかったかもしれない

  • まーた悪役が人類補完しようとしてる……

    • この辺のシナリオと理屈に食らいついていけたのはガンダムとエヴァ通ってきたおかげみたいなところはあり、逆に通ってない人だと大変そうではある。マニア向け・庵野ファン向けみたいな世評もむべなるかな

  • しかし対人恐怖とトラウマ抱えてるやつの思想が全人類直結の方向に行くことなくない? 他人の内面とか本音とか一生知りたくない感じしない? とも思うけど、そこでそっちに傾くような奴だからこういうタイプの悪役になったんだろというだけの話ではある

    • 他人への恐怖とトラウマ、拒絶を抱えながら、一方で人一倍他人の存在を希求している存在だということなのかもなと書きながら思った

      • しかしこの点、結局希求している他人とは自分に優しかった特定個人の存在なわけで……

        • 同じ庵野ラスボス枠としてゲンドウはこの辺自覚的で、最終的には補完計画を利用して希求する対象個人であるユイに会おうとしていたわけだけど、イチローに関しては大真面目に人類補完計画をやろうとしていたような雰囲気で、より救いがない印象

        • 漠然とした多数との強制直結強制本音開示空間みたいなのを幸福とみなす考え方、対人経験の少なさゆえの発想だよなと思うところもあり、それ自体が他人を知って傷を負って……みたいな経験を真っ当にできなかったということの象徴に思われ、より悲しいキャラと感じる

  • それはそれとして「1回行って話して撤退、再突入してから戦闘」の流れが1つの映画で2回も出てくるのは流石にもっさり感があったと思う

  • 風無しで変身だと!?

    • 作中の常識・前提条件を提示して受け手側に飲み込ませた上で、後からそれを破るキャラが登場するという流れ、定番ながら非常に鮮烈な「格」の表現で熱いし、前提をうまく飲み込ませてくれる作品はすごい

      • ただ風がないと変身できないみたいな話に関しては元々知っていたので、そこの提示が上手かったかは定かでない

        • 逆に以降のライダーって風無しで変身できるんだなあと……言われてみれば確かに変身ポーズとかガジェットとか色々あるらしいもんなあ

      • シン・シリーズ全般に言えることだが、どこまで知ってる前提で作ってるのか・自分がどこまで知っていたものなのかよく分からなくなってくる。多少なり知識があったところでそこの前提をひっくり返してくる部分もあるわけで、不思議な緊張感と共犯関係がある

        • 特に自分の場合は原作をほぼ知らないので……

  • 変身ポーズと構えの折衷みたいなの、現代的解釈と言うか見事な折衷案でかっこいい

  • 「その左足じゃしばらく無理だ」みたいなセリフ、知らないけど藤岡弘が折ったの左足だったんやろなあ……と感付き、帰って調べてにっこりした。わかるよ……(勝手な共感)

  • 遺言ビデオレター、環境音入りまくってるのがすごくよかった

    • シン・ゴジラ以降いろんなカメラで色々こだわってる話は各所で出ていたけど、これまた新技かという印象

  • 偽主人公だ! 特撮っぽい!

    • 「相変異」、言われてみればめちゃくちゃバッタっぽい解釈だなと

      • 言われてみればバッタに羽あるな……みたいなところもあるし、結構真面目に(?)バッタをやっていたなと思う。他のライダー作品を知らないのであまり偉そうなことは言えませんが……

    • 父親がガチャポンフィギュアで初代ライダーがダブった時にマフラーとかをなんか黄色く塗ってご満悦だったのを思い出し、非常に懐かしい気持ちになった

      • 後日NHKのドキュメンタリーを見て、相変異ライダーのマフラーが黄色かったことを確認し感動。というか見たかったよドキュメンタリーでやってた野外実写のバトル……

    • バイク戦闘パート、銃使った上であれだと流石にプロットアーマー的印象が目立ち過ぎ感は否めない

    • 流石に暗すぎてもったいなかったなとは思いつつ、ダブルライダーで戦うという構図はやはり熱いなあと。いくらなんでも関係構築早すぎだろと思うところはあるものの、バディもの・ダブルヒーローもの的なニュアンスは無条件にテンションが高まるところはある

  • チョウオーグ戦、「なにがなんでも」感が素晴らしかった

    • 風車が2つ!はV3らしいことぐらいは親から聞いたなあと

      • 仮面は赤くなかったしなんか全然関係なかった

      • 0号、概念そのものが「存在しない0番目の四天王」とかあの手のアニオリ劇場版すぎる

    • 良くも悪くもインパクトというか異物感のある戦闘だったことは間違いない

    • NHKのドキュメンタリーでも尺を割いていたけど、生っぽさ、リアルっぽさ……という点では間違いなく意図通りのシーンにはなっていたのかなと。

    • 全力で殴り合いながらゼエゼエ息吐きながらの論戦、そりゃリアルに考えたらそうなるだろうとは思うけど、ホントにそれをやるとは、というところ

      • 戦いながら喋りながらというやつ、ガンダム的ではあるんだけど生身の肉体でやるのは大変

      • MSとは人の意志や主張が形を持ったもの、肉体の拡張……みたいな話を考えると、まさに肉体を強化したオーグ同士の戦いで各々の思想をぶつけ合うガンダム的な論戦が生じるのは近い構図だなと思う

  • ラスト、美しい風景ではあったしなんか許せた感が出る

    • 地元の道路でライダーが走り去っていく光景をラストカットにするの、少年の夢の実現という趣がある

    • お前「x + y号機」! Qの予告で抹殺されたはずでは!?

    • プラーナ云々の話あんま真面目に受け取っていなかったのもあるけど、必ずしも本郷の人格がメットの中に残ってる必要はなく、あれはあくまで一文字の心中の本郷との対話、みたいに受け取ってもいいよなとは思う

      • 最初の方に書いた通り「正義の意志の継承」というのが一つのテーマと受け取ったので、それは本郷が父親から受け継いだものと同じように、必ずしも人格の保存と対話を挟まなくても成立して良いはずだとは思う

      • このあたり、あまり詳しくは調べていないものの、何らかの原作ネタ・パロディ的なやつらしいので、まあ「はい」というところではある

    • EDで昔の主題歌が流れると「上映会」感が強まりちょっとシュールさが出る。迫るショッカーのやつ以外あんまり知らなかったので渋いな~という印象

      • その意味では劇中でアレンジされてた方は絶妙な「ダサカッコイイ」のラインを抑えていてすごく良かったなと。ジャンルと傾向は大きく違うけど、どこかユーロビートとかあの辺のジャンルに通じるような「かっこつけすぎ感」や「郷愁」が出ていたと思う。


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