見出し画像

頭の傷を抱えて思うこと

あたしには開頭した傷がある。

おでこの正面から左耳の真ん中くらいまでの髪の生え際にぴゃーっと。

2年半前に頭痛で起こされる日々が続き、乱視のせいじゃないよなっていうレベルで、見ている像が、Y軸方向にオフセットがかかり、ローテが反時計に10度くらいかかるようになった。流石に仕事にならなかった(苦笑)
そりゃそーだ。あたし、映像の編集やってるんだから。目は商売道具。

撮ったMRIの画像を見て、若い担当医師は「なかなか派手(笑)」とのたまってくれた。素人目にもわかるレベルで左右の画像が違った。原因を確定するために、投薬始める前に病理に出した方がいい、という判断で開頭生検をすることになったのだ。

開頭までしたのに、結局原因はわからないまま。以来、あたしはこの傷を指して「開け損ちゃん」と呼ぶことにしている。投薬で目の動きは復活したものの、今も、諸悪の根源が綺麗に消えたわけではない。

体に傷をつくる、ということはその時に必要なプロセスなのは、わかってはいる。でも、その代償の結果が伴わない場合も多々存在する。あたしの開け損ちゃんも後者だ。

この傷があたしの日常に参加することになったせいで、泣き系の映画や本がキツくなった。なぜか、涙を流す瞬間に、ガツンっとした痛みが走るのだ。涙が出てくる最初の一瞬だけで、大騒ぎするような痛みではない。でも、せっかく興に入っている時に、そのちょっとした痛みで現実に引き戻されるのだ。それがとてつもなく面白くない。(笑)

開け損ちゃんは、気象にも敏感だし、台風の接近とかも割と早めに教えてくれる。嬉しくないやり方で。

誰も好き好んで体にメスを入れたいとは思わないだろうし、それしか手段がないから、なんだろうけれど、出来るだけ傷は増やさない方がいい。

あたしの場合は、自分の体のことなのに、とにかく早く退院して仕事に戻りたい(社畜だからなんじゃなく、一旦指名客が離れると取り戻すのに大変だからだ)という一心で、言われるがままに生検を了承した節がある。
若干の思考停止感は否めない。

結果論でしかないんだけれど、傷を増やす前に他の選択肢があるんだったら、次はそうしようと思うのだ。取っちゃえば済む、みたいなものであっても、一旦ちゃんと立ち止まって本当にそれが最善なのか?を調べる、考える。せっかく、これだけの情報社会なんだから。

それより何より、月並みではあるけれど、健康であること、健康な生活を意識すること、が大切なんだな、ということを覚えた。(と、言いつつタバコはやめられてない)

時間経過と共に、開け損ちゃんの存在アピールが薄くなるのかどうかはまだわからない。少なくとも、2年や3年で終わるものじゃないことだけはわかりつつある。気持ちよく号泣できる日が早く来ないかなあ、とはちょっと思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?