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ホスピスへ

前の投稿をしてからひと月後、友人の勧めもあってホスピス外来を受診し始めた親父。
受診の条件?が、もう完治を目指さないということで、投薬等の癌治療をやめるというものだった。思考も意思もハッキリと自我のあった親父なので、私は一切の決定権を親父に委ねた。あるいはそう仕向けた。
それは、自分が人の、ましてや親の人生を決めることから逃げたかったのかもしれないし、最後まで親父自身の判断を尊重したかったからかもしれない。

初回の受診後、帰りの車の中で、「なんかスッキリしたわ。それに、これ以上悪くなった時にいくところが確約出来たのはオレ的にもお前ら的にもいいと思う」と言っていた。

そしてその4月を境に投薬の種類が変わり、それが功を奏したのか、1月からの癌性疼痛の激痛がすっかり消え、杖をついて歩いてくれ!という周りの懇願もよそに手ぶらでテケテケ歩けるぐらいにまでなっていた。

痛みが全然なくなった日々の親父は、激痛用の放射線治療後に安静にしていて落ちまくった筋力を取り戻したくて仕方がなく、ちょっと目を離すと元どおりのことがなんでも出来るように戻りたくて結構危ないこともしてた。
実際、自分で買い物に行く!と一念発起してひとりで外出して、すっ転んで、顔面制動したせいでがっつり顔に擦り傷をこしらえた。
怪我して欲しくないあたしや兄貴に何かするたび怒られて、シュンとなる親父を見るのは辛かった。

気持ちはすごくすごくわかるんだけどさ、せっかくまだ杖ついて歩ける状態にいるんだから、つまんない骨折とかするのやめようよ、と一生懸命諭すも、元の自由な生活が恋しくてたまらなく、現状に不満と不安と情けなさを感じているのはとてもよくわかった。

4月はそれでもまだ元気な方で、山梨のねーちゃん宅まで療養合宿なんかも出来ていた。
そして、その合宿から戻った5月。どんどん食欲が落ちていった。

味覚が変わったのかただのわがままなのか、とにかく何を食べても美味しくない、と言う。料理上手な娘でなくて本当に申し訳ないと思うとともに、体力戻すためには美味いとか美味くないとか言ってないで、口に出来るものをなんでも食べて欲しかった。けれど、薬のせいなのか匂いにも敏感になり、好きだったメニューが食べられなくなっていった。

1日3食食べないと損した気になる、と豪語していた親父が、食事を粗末にし始め、6月には2食になり、ほっておくと1食しか食べない日もあった。

主治医からは、栄養補助食品を勧められ、なんとかそれを口にしてもらい、出来るだけ水分を摂って貰うように実家に毎日通った。もう自分で冷蔵庫を開けて何かを食べたり飲んだりはしなくなっていった。手元に置いてもしばらく放置されたままの食べ物や飲み物は沢山あった。

それでも毎日起きて、着替えて、リビングの椅子に座っていた。
寝たきりになるのは本人も嫌だったのだろう。眠りがどんどん浅くなり、ノンレム1ターンで目が覚める事が続き、起きたら念の為、といって毎回トイレに行っていたらからどんどん体力が奪われていった。粗相をするのも紙パンツを履くのもどっちも嫌だったんだろう。

彼には7月に現役だった頃の仕事関連で地方に行くという最大ミッションが控えていた。企画自体はもう何年も前からのもので、元気だった頃に引き受けたものだった。地方っつったって車で4時間くらいだから、大遠征っていう程じゃない距離。だけど、今の彼にはとんでもなく遠い場所だった。

何度も発熱したり、体調不良だったりが続いた5月と6月だったので、断るなら早い方がいい、その方が先方の為でもある、と、何度も確認したけど、何も出来なくても顔だけは出しに行く、と言って譲らない。ならば、と、色んな根回しをし、車椅子もレンタルし出来ることは出来るだけやった。随伴するために自分の仕事も断った。

結果から言えば、彼はその大役をきっちりこなした。
三日前には、発熱して身の置き所がないって苦悶してたのに、現地入りをして仕事相手と会った途端にスイッチが切り替わった。

顔つきが全然違う。声の張りが違う。プロだと思った。

もちろん、出番じゃない時はホテルで軟禁し、部屋内以外は一歩たりとも歩かせなかった。余計な体力を消費させる訳にはいかなかった。初めて訪れた場所だから、観光みたいなこともしたかっただろう、フラフラと出歩いて街を見たかっただろう、でも、一切余計なことはせずにただひたすらやって欲しいとお願いされた事はひとつも断らず、ひとつも中座せず、きっちりと笑顔でこなしてきた。

直帰なんか絶対ダメだと思って、後泊を2泊つけたのは正解だった。
現地を30分程離れたとこに宿をとり、夕方チェックインした後、親父は夕食も取らず、翌日もほぼ丸1日眠って過ごした。何度かトイレに起きては、俺、よく眠るなあ、とこぼしてはいたが。

さあ、今日は家に帰るぞ、という朝8時にわたしの携帯が鳴った。病院からだった。戻って翌週に診察の予約が入っていたので、何か不都合でも起きたかな?くらいの気持ちだった。

電話の相手は主治医だった。

直接主治医から電話がある、とか人生的にも初だったのでビックリした。

主治医は、わたしに聞く。
お父様、調子はどうですか?やる事は出来ましたか?
わたしは答える。
はい、お陰様で何とか全てのことをやり抜きました。
主治医が言う。
それは良かった。それでですね、明日、空きが出たのですがどうしますか?
わたしはてっきり診察日を繰り上げてくれるのかと思って、
あ、じゃあ、明日伺って状態を確認していただいて……

そうではなく、ベッドの空きが出たので、入院されるかどうか、と言う事です。

一瞬、脳みそが混乱した。明日…入院…???

主治医との電話を切った後、悩んだ。
人気のあるホスピスなので、これを逃すと次はいつ順番が回ってくるかわからない。だけど、癌の進行状態から考えたら、自宅へ戻れない入院になるかもしれない。わたしが勝手に断ることも受けることも出来た。けど、やはりわたしは、親父本人に決めてもらうことにした。

主治医に返事をするまでの2、3時間。チェックアウトの準備をしながら色々話した。20時間近く睡眠を取れた親父はすこぶる快調で、なんか今日は歩けるなあと言いながら無意味にソファの周りをくるくる歩いたり、外を眺めたりしていた。
確かにその姿だけを見ていれば、入院?イヤイヤ、まだまだうちに居ても大丈夫なんじゃないの?と思わざるを得なかった。

そしてチェックアウト前、親父はあたしに言った。
入院する。そういう風に段取ってください。


旅から帰った翌日の朝、父は入院することになった。


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