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0587 軽率が軽率を呼び込む

「ジャーナリズムの軽率は、国民の軽率でもある」
と書いたのは野呂邦邦暢だ。
昭和50年代に書かれた、戦中から戦後にかけてのことなのだが、今もその軽率は続いている。

ついでに言えば、政治家の軽率は、国民の軽率、とも言えるだろう。
最近話題の都知事選立候補者を見て、絶望しかない(都民じゃないので、投票はできないw)

有名ならいいだろう、激しいことをいえばいいだろう、と思わせたのは私たちなのだ。それは東京都だけでなく国もである。
その行きついた先が、公務員の大量退職・希望者減であったなら、もうますます目も当てられない。

選べない、という世界を作った責任はどこにあるか。
どうでもいい情報ばかりを流すマスコミを産んだのは誰なのか。

学ばねばならない、知識を身につけないといけない、そうでなければ、全部自分に跳ね返ってくる。
そんなことを思う今日この頃である。

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