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朝の15分


NHKの朝ドラ。

日本の何割くらいの人が、毎日見ているんだろう、と時々思う。


生まれ育った実家では、物心ついた頃には、母や祖母たちは、毎日欠かさず観ていた。

20代のわたしは、夜の恋愛ドラマには、時折夢中になったりしていたが、毎日たった15分しか放映されない短い朝ドラの、何がそんなに楽しいのか、さっぱりわからなかった。

それがだ。

40を超えた辺りから、母や祖母たちと同じように、朝ドラにはまり始めたのだ。


ちゃんと、きっかけがあった。


30代も終わりを迎えるころ、体調を酷く崩し、実家に戻っていた。

自分の本心に嘘をつき続けた生活を、10年も続けたせいで、身体も心も、とうとう、自分の思い通りには動かなくなっていた。

何もできなくなったわたしは、寝たり起きたりの日々のなか、リハビリがてら、仕方なく、朝ドラを観始めたのだ。

怖いニュースや、騒がしいバラエティー番組などは、全く受け付けなかったが、朝ドラは、時間が短いことも幸いしたのか、大丈夫だった。


その頃の習慣が、もう10年。

朝ドラ仲間とのLINEで、ワイワイ盛り上がる時もある。

毎日フルタイムで働いている友人もいて、出勤前の忙しい時間帯に、ちゃんと観る彼女には脱帽だ。

どんな時間配分なのか、1度聞きたいものだ。(笑)


朝ドラを10年、観続けてきて、母や祖母たちもまた、毎日欠かさず観ていたその気持ちが、少なからずわかった気もする。


そして、気づいたこと。

たかがドラマだけれど、わたしの心を揺さぶるたくさんの台詞に、時には救われ、時には励まされ、時に、深く共感してきた。 

この10年間、わたしは、朝ドラに背中をそっと優しく支えられてきたイメージがあるのだ。


もう一つ。

朝の忙しい時間帯に、15分間、TVの前に座ること。

それを、意識的に自分に課してきた10年でもあった。

わたしは、わたしのことを、もう2度と見失わないために。


朝ドラを座って観ることで、ドタバタした朝の慌ただしい動きが、止まる。

家事や、外出の準備をする手を、1度止める。

15分間動きを止めることは、わたしにとって、大切な儀式のようなものとなった。


若かったわたしは、自分の心と身体を、どこまでも酷使した。

まるで、ボロ雑巾のように、毎日、毎日、粗末に使い続けた。

そして、自分を完全に見失ったのだ。


だから、どんなに忙しくても、1度止まり、やらねばならないことを、15分だけ放棄する。

そしてわたしは、わたしに戻る。

終われば、やらねばならないことに、再び戻る。

その後に控える、朝のお茶の時間を、心待ちにしながら(笑)


わたしにとって、朝ドラを観ることができる、というのは、時間的にも、気持ち的にも、余裕があるということ。

そして、その余裕は、わたしの身体と心をちゃんと守れている、という大事な証。


寿命を迎えるその日まで、朝ドラ、観れたら幸せだなぁ🎶













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