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その通所は、旅のよう

田舎にある私達の施設。
通所するのに、片道30分かかる利用者さんもいる。
都会(都会という言い方は古いかな)から田舎に向かって通所するのだが、どんな気持ちで通所しているのか聞いた。

「まるで、旅のようです」
その通所は、旅のようだ、と言う。
車で30分ということは、30キロの距離がある。
ちょっとしたドライブだし、旅と言えば、旅なんだなぁ。

彼女は、病気のため、思考を整理するのが苦手である。
生活している場所に近いと、いろいろなものに意味を見出してしまいやすい。
ちょっと離れた田舎が、ちょうどいいのかもしれない。

今日読んでいたnoteに、ぐっと刺さる言葉があった。

旅は、見知らぬモノが視界の中で交差するのを、ただ眺める時間だ。

田所敦嗣『スローシャッター』グダニスクの雨

この、「ただ眺める時間」という表現がいい。
それは、贅沢な時間の使い方だと思う。

高井さんのnoteにも、思わずメモをしてしまった良い文章がある。

だが、『スローシャッター』を読むと、人と人との間に何かが生まれるのに、劇的な仕掛けやイベントが必要なわけではないのが分かる。

ちょっとしたきっかけで、胸に残る、心と心が触れ合う時間は生まれる。

「踏み込む」ほどの歩幅でなく、人に少し歩み寄ること。
話してみたいと思う人と、話してみること。
迷った言葉を、口に出してみること。
相手の人生を想像してみること。
慌てず、急かさず、関係を築くこと。
少しだけ、人に親切にしてみること。
少しだけ、いつもより自分の心を開くこと。

必要なのは、ちょっとした心の持ちようだ。

今日も、いいモノたちに出会えた。
今日の歩数は、6,727歩。
おやすみなさい。

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