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【映画】この世界の(さらにいくつもの)片隅に

この世界の(さらにいくつもの)片隅に、を観た感想を書き留めていた。

先日、映画「ルックバック」の予告編を観て、また楽しみが1つ出来たこともあり、このタイミングで公開したいと思う。

以下、物語の内容にも触れているため、ご注意ください。

「好きな人には秘密を打ち明ける。
 打ち明けなければ、その部分は死んだと同じだ」

という印象的なセリフを、
カサヴェテスの映画「ラブストリームス」でロバートが語っていた。

この映画の中で、リンはこう言う。

「人が死んだら記憶も消えてなくなる。秘密はなかったことになる。それはそれで贅沢な事かも知れんよ。自分専用のお茶碗と同じくらいにね」


周作とリンによって、この世界に居場所を見つけたすずだけど、あるきっかけを境に、同時に二人ともを失いそうになる。

自分の居場所がぐらぐらする。
彼女は、自分を訪ねてくれた旧友の水原のようには笑えない。

ただ、病気を患うテルの話を聞き、普通ではいられない世相を思い知る。(周作もきっとそうだったのかもしれない)

桜の樹で、リンと再会した際に、テルが亡くなったことを告げられる。
その場では、周作とリンも再会するのだが、
あっさりと笑って別れられた二人、周作の様子を見て安堵する。


その後も、すずは自分の居場所を失う。

自身も当事者になり、「良かった?」の自問自答を繰り返す。

朦朧とする中で、自分の秘密を周作に打ち明ける。

「普通」ではいられなくなった中で、
自分より多くを失った径子の言葉に後押しされ、ようやく前を向き始める。

周作に促されて、焼けてしまった遊郭を訪れ、リンのことを悟ったすずは、言う。

「リンさんのこと、秘密じゃなくしてしもうた。これはこれで贅沢な気がするよ」


前作「この世界の片隅に」では、悲惨な状況下でも人は笑うし、嫉妬するし、楽しみを見出す、闇市や遊郭のシーンにしても、人間に娯楽が必要だったり、慎ましく、配給に頼るだけじゃない、人間の逞しさや、しぶとさが垣間見えた。

丹念に描いてるからこそ、戦争と日常生活、そして過去と現在がいかに地続きであるか、逆にいえば、ふとした時に、日常は戦時中になってしまう。
そんな事を考えた。


今回の作品で、リンのエピソードが加わった事によって、亡くなった人に想いを馳せる事が出来た。
人は居なくなるし、いつか死んでしまう。

たぶん、自分達は多かれ少なかれ、誰かの分まで生きようとしている。

その中で、誰かとのとっておきの記憶や秘密を、
心に常に抱くことが出来るのならば、それだけでかけがえのないものだし、
大切な秘密を打ち明けられる人がいるというのは、とても贅沢なことだ。


隣のおじさんが、エンドロールのリンを描いた漫画が流れてくるところで泣いていた。

映画館のいいところだと思った。

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