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体癖診断カフェ・リポートvol.18

今回は、オンライン講座受講生のかたからいただいたご感想文を基に、対話形式でお送りします。この対話が、他の方々へ何かしらのお役に立てればと、ご了承をいただきました。ありがとうございます。

皆様だったらどうか、自身を見直されるきっかけになれば、うれしいです。^ ^

【6月体癖診断カフェ@オンライン 受講者様 女性】
今日の会は居心地が悪くなにか気持ちが乗らない感じで始まりました。

静かに自分を見つめていますと、参加者で苦手なタイプの方がいらっしゃるからだと判断していることに気づきました。苦手なタイプの方が自分の調和を乱しているように私が感じたんです。それは私にとっての真実です。

ここに思い当たったのは、本日の「自分のうまくいかない状況を把握する」という言葉からです。いいヒントをいただけました。苦手なタイプの方には扉を閉じる、これが自分の癖なんですね。

また、〇〇さんの体癖の話をした方は、どうしてここでそのことを質問するのか理解できない、と考えている自分に気づきました。ここでこの話題を出すということはこの方はどの体癖なのだろうか、と興味を持ちました。

ちょっと視点を変えると理解できない、いらいらするという感情から離れられ客観的になれました。(これはきっとオンラインのおかげです)

少人数のグループ内でもこのようにいろいろなタイプの方がいるのだから実社会に様々意見があって当たり前ですよね。でもこの当たり前がわからないということが悲劇であり、人間の面白さなのでしょうね。

自己観察をはじめる

自身の反応のプロセスを、ひとつずつ確認する。これはすごいことです。以下、ポイントを追っていきます。

『居心地がわるく何か気分が乗らない感じ』
①その時の自身の感覚に耳を傾け、事実をそのまま認める。
 
『静かに自分を見つめていますと』
②外部(他者)ではなくて、内部(自身)の観察を始める。

『参加者で苦手なタイプがいらっしゃるからだと判断している』
③私が、判断(正誤)をつけていることに気づく。

『苦手なタイプの方には扉を閉じる』
④(不快な状況と認知した場合の)身体反応に気づき、受け容れる。

『ちょっと視点をかえると~客観的になれました』
⑤そんな時の自身の扱い方(対処法)を実践し、行動の結末を経験する。

誰もが社会(家族、学校、会社といった所属)で、自身のあたりまえの反応(思考+感情+言動)を繰り返しています。その結果として今、生きながらえている。誰しもが立派なサバイバーなわけです。当然ながら。^ ^

個々のあたりまえ(固定観念と言い換えます)に従って、それぞれのユニークな世界観の交差が織りなす物語は、古今東西、人類の悲劇となったり喜劇であったりしますね。これも、ご存じのとおりです。

体癖論的にも、思考だろうが、感情、行動、勝負、愛憎、どの感受性傾向が優位だろうが、とっても人間らしい。そこに、時として泣けてくるし、笑っちゃう。あるいは、意味わかんない、となる。けしからん!ともなり得る......(笑)

結果、自身を悩ませ苦しめ、他者をも苦しめるに至る事実がある。

自身の反応(癖)のメカニズムを知ると知らないでは、自らが織りなす物語の主人公や登場人物の生き死のありさまへの影響も、違ってきそうですね。

それは、生命そのものの死だけでなく、人が社会的所属を失うという意味も含みます。このあたりまえにも、お気づきのはずです。

だったら、どうするのか。

この問いかけは、ある意味、だれもが手っ取り早くたどり着く現代病みたいなもんやと、ぼくは思っています。その答えは簡単でね、少々乱暴かもですが、答えを外に求める限り、

こうすれば、ああなるは、ない。

です。

私の世界観~対人・対物・対自然

ここでちょっと、自分自身にとっての世界観ってどないかしらと、お茶でも飲みながら想像してほしいんです。

その世界観が、対人関係で占められる割合が多ければ多いほど、あるいはそういう状況下に居られる人ほど、生きること自体が、さぞお苦しいだろうと想像されます。

だって、寝ても覚めても、実際に人と居ようが居まいが、常に頭の中に誰かしらの影が存在しているんだから、こころ休まる余地なんか、ありませんよね。

それが、妄想だろうがね。^ ^

お茶飲みながら、空でも見上げてみてください。世界って、広いです。そのこと、お茶(この場合、対物)、空(対自然)で、私自身(まぎれもない自然)が、どう感覚しているか。”今その瞬間”で、確認してみてください。

そこには常に、自分自身にとっての最適解が、ありそうじゃないですかね。気づいてやっていないだけでね。

変えられることと変えられないこと分別つけられる智慧と、
また、変えられないことへエネルギーを割くのではなくて、
変えられることへエネルギーを注ぐことを選択し、実践する
冷静さと勇気とを、私は、兼ね備えている。

これは万人に平等に与えられている、ぼく自身、結構、追い詰められて苦しかった時に、こころ救われた、いきいきと自分らしく生きる先人の言葉です。そして紛れもない事実だと、自身の経験上、確信しています。

追い詰められてって、外的要因のように書きましたが、実はこれ、自身のあたりまえが招きつづけた繰り返しの結果、自身で自身を苦しめていた事実を、遂に観念せざるを得なくなった...が正解です...おはずかしながら...(笑)

これを実践するしないは自分次第です。老若男女、社会的地位、役割、ん~知識の有無、見てくれがいいだのわるいだの...(笑)そんな判断や比較は、一切、関係ありません。

実践の目的は、至極単純です。楽に過ごすか、ならないで過ごすか。自分はどちらを選択したいですか。それだけです。私の人生の物語の主人公は、いつでも私ですからね。

ここに、個々の能力(魅力)を無駄なく活かす礎があると思っています。

ぼくも毎回、一回性の自己観察に努めているんです。すぐ意識とんじゃいますけどね...過去や未来や他者や、なんやらかんやらに(笑)その都度、ああ、あかんあかんとそれはそれで認めて、また"今ここ"へ意識づけをする。

これを、毎日続けたいんです。身について、慣れて、馴染んで、忘れてしまうくらいに。それこそ、癖にしちゃうように。覚悟が要ります。それなりに。^ ^

はじめは、自分の嫌な部分を見つめるのが苦しいかもしれないのですが、やってみると、案外こちらの方が楽になってくると思います。

楽になれば、その過程はどうあれ、結果として余裕のある雰囲気が、確実に周りの他者にも伝染します。そうすると、その他者も、自ら変わり始めるかもしれません。(ここは、期待をしないでおいておくことです)

そしてそんな流れは、必ずしも、人が意識を向けている範囲内に限定されて影響が表れているわけではない。そういった意味で、世界のすべては循環しています。(そこいらあたりは、また別の機会に)


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