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自分のtwitter(X)について

私のtwitter(X)アカウント(@aoi_monozuki)は,他者とのつながりや他者への情報発信のためではなく,自分の営みをなんでも記録する自由帳や自分の好きなもの・興味深いものを収集するスクラップブックの目的で使っている.
中でも主に実生活で交流のある人々には表立って言わない思考や活動を記録が多い.

というのも,自分が死んだ時に他者から見える自分は他者の記憶に残るけど,他者から見えなかったけど自分が大切だと思っていた自分がどこにも残らないのが悲しく思えて,どうしてもどこかに残しておきたかったからだ.このアカウントを始めた理由でもある.そのため,主語も文末表現もその時の心情のまま残したくてあえて統一もしていない.他者に向けた投稿はほとんど無いし(リプライやDMでのやり取りはその限りでは無い),リポストも拡散の意味を持たず自分にとって大切だと思ったことをノートに貼付している感覚が近い.同じ曲を何度も投稿するのも,その時にその曲が自分に響いたことを残しておきたいからだ.

自分の記録であれば,自分だけが見るノートでもスマホのメモ帳にでも書けばいいのだが,それだと抽象的なメモ書きのままで放り捨ててしまい形を成さないので,他者に晒されているという意識を借りてある程度文章として読める形にするためにXに投稿する形式を採用している.

一方で他者の目を意識することで,他者にとって不快では無いかや見栄えの良さを気にしてしまい,本心を歪曲した記録となるのは目的から逸脱するので,他者に媚びない投稿を心がけている.それに,自分が切に残しておきたい思考や思い出を軽率に他者に共有してしまったら,それがもつ輝きや純度が薄れてしまうように思うから.なので私はinstagramがあまり好きでは無いです.

そんなわけで,他者に迎合することもなく思うがままに投稿してきたし,いいねなんて1個もつかないのが普通だったのだけど,最近ちょこちょこいいねが付くことあり多少の戸惑いを感じている.もちろん,いいねに私の投稿への否定や中傷の意味込められていないのはわかっているのでそれ自体はとても嬉しいです.ただ人間とは弱いもので,いい反応をもらってしまうとどうしてもそちらに流されそうになる.これからもブレずに自分を記録していくぞという戒めと,自分でも様々な思いを整理できておらず衝動的に使っていたこのアカウントの立ち位置をここに記録する.

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