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古代の衣・食・抗菌

今から5年ほど前に聞いて、最近思い出すことになった話。

それは古代の衣料の染色のこと。古代染色研究家の紅師、故・前田雨城氏から口伝を受けたという草木染めの作家さんから聞いた話だ。記録にとっていなかっただろうかと調べたら、当時のメモを見つけた。その頃、衣食コラボみたいなことが盛んにいわれるようになって、ファッションが売れないから食に近寄ってきているような風潮がどうにも気持ち悪く、衣食の本質的な接点って何なのだろうと探していた時に出合った話。

色彩は、美の前に祈りのためにあった

日本の染色の歴史は、大和朝廷の頃に遡る。古代アジアの世界で、日本の立場をつくってきたのは、染色と言われるほどその評価は高く、染色の実体は植物の草木染めとイコールだった。染色の原料となったのが薬草だ。注目されたのは、色味より草木の薬効だったという。染色技術は、薬草の知識に裏打ちされていたということだ。纏うことで雑菌から身を守り、病を遠ざける護身のための衣。遥か昔の衛生環境やアジアモンスーンの湿度を鑑みれば、東アジアは菌の繁殖が活発だ。草木染の文化が、アジアモンスーンの広葉樹林帯と重なりを見せるのは偶然ではない。日本の染色が進んでいたことを示す証拠だろうか、日本の色彩には原料に基づいた順位があった。抗菌性の高い色彩は、高貴で位の高い人しか身に纏えないもので、染師もまた色別に専門化していた。

紅師、紫師、茶師、藍師、黄師

の五段階があり、染色技術の秘伝口伝を許されたのは紅師だけ。冒頭の前田雨情氏は紅師三十三代目だった。

もっとも高貴な色、天皇だけが身に纏うことの許された色は、日本茜で染めた緋色。すなはちそれは、もっとも薬効の高い色でもあったということなのだ。日本茜は色が出にくく、染料にするためには大量な根が必要な植物なのだそうだ。今や絶滅危惧種。古代、大切な人を守る色彩は、装飾や美である前に祈りだった。染色は、身につける人の健康に祈りを込める行為でもあった。

<茜色(あかねいろ)と日本茜> 茜色は、アカネの根で染める茜染のようなくすんだ黄赤色で、藍染と並んで世界でもっとも古い染料のひとつです。アカネはもともと、赤根=根が赤い ことからその名がつけられた植物で、根に含まれるアリザリンという赤系色素を利用して染色する。茜色の歴史は古く「魏志倭人伝」にも「邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から茜色の絹を贈られた」の記述がある。日本に伝わったのは東洋アカネで染められた色だが、日本原産のアカネは日本茜とよばれ、日本茜で染めた色は、外国産の茜と比べて黄色味を帯びるのが特徴だ。      〜カラーセラピーランド〜

万葉集で額田王らも詠んでいた

万葉集を代表する女流歌人、額田王が前夫の大海人皇子(天武天皇)を詠んだ歌、これに対する大海人皇子の答歌にも、よくよく見れば紫の薬草が登場している。紫もまた薬効の高い高貴な植物であり、色であったのがわかる。これもまた今は絶滅危惧種だという。

あかねさす野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」額田王(夕暮れ時、紫草の栽培されている野、御料地を行きながら、野の番人に見つかりはしないでしょうか、あなたはそんなに袖を振ったりして)
のにほへるいもをにくくあららば人妻ゆへに我恋ひめやも」大海人皇子(紫草のように美しいあなたを憎く思ったら 人妻(兄の妻)なのにどうして恋などするでしょうか)

額田王のこの歌は、現夫、天智天皇の前で、前夫で天智天皇実弟の天武天皇のことを詠んだ三角関係を想像させる艶っぽい歌ということで有名だ。考えたこともなかったけれど、色に注目すると別の景色が見えてくる。標野は皇室の御料地だ。そこで紫が栽培されていた理由は明らかだ。紫は、その根である紫根(シコニン)に薬効がある。

こんなのも見つけてしまった。

<ムラサキのシコニン生産> シコニン(紫根)は、ムラサキ科に属する植物のみが生合成できる赤色のナフトキノン系の化合物です。紫根は悪性腫瘍などの治療に用いる漢方方剤に処方されるだけでなく殺菌・消炎・止血作用が知られていましたが、最近では抗腫瘍活性や血管新生抑制作用などが報告され、薬理学的に非常に注目を集めています。薬用だけでなく紫根は染料として「紫根染」の原料とされてきました。その歴史は古く、聖徳太子が冠位十二階の順位を服飾の色で定めたところまで遡れるようです。因みに、紫根染で布は綺麗な紫に染まりますが、紫は冠位十二階の最高位とされています。昔から有用性が広く認知されているシコニンですが、肝心のムラサキは今日では絶滅寸前状態で、野生品が見つかると新聞にでるくらいまで個体数が激減してしまっています。 「京都大学生存圏研究所 森林圏遺伝子統御分野 矢崎研究室」

作家さんから聞いた話も、植物の紫は希少になってしまい、バイテクで工業的に生成されるようになり、化粧品などに応用されているとのことだった。紫に限らず、日本の多くの植物由来の色彩は化学合成染料に置き替わった。日本だけに限らないけれども、豊かな色彩=豊かな薬草のあった日本が失ったものは大きかっただろう。

本質は、衣医食同源なのかもしれない

日本人は薬草類から100種類以上の色を生み出していた。これはアジアで突出した豊かさだったという。主な原料にはこんな植物の名前が挙がっている。

藍:葉の汁を塗る、種子を煎じて解熱や解毒に服用。          ウコン:止血剤、尿血、胆道災に服用。               梅:未熟な梅の果実は燻製にして烏梅(うばい)に。煎じて風邪薬、下痢止め。                                キハダ:幹・枝・根の皮を使い条虫駆除薬として服用。         ムラサキ:解毒、解熱、皮膚患。                   コンブリ:胃腸薬                          チョウジ:防腐、麻酔効果                      紅花:月経不順や産後腹痛                      やまもも:整腸、下痢や嘔吐、殺虫、解熱              〜月刊 染織 1994.04 草木染めの薬用効果〜

日本列島は、様々な地盤が重なり合ってできたため土壌にも多様性がある。土壌の違いにより草木の違いが生まれ、それが色彩の違いになる。恐らく稲作と同じ頃に大陸から伝わったとされる染色技術は、日本の土壌とともにローカライズされ、豊かになった。中でも伊吹山は薬草のメッカだったようだ。伊吹山を少し調べてみたら、出るわ出るわ、薬草の宝庫情報。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、伊吹山を抜ける時に毒気に当たって命を落としたとされるが、それは伊吹山の毒草(トリカブト)だった説もあるようだ。伊吹山の山頂には日本武尊の石像が立っている。延喜式には宮廷に納められた伊吹山の薬草の記録があるが、それは染色用でもあったのかもしれない。織田信長は伊吹山に薬草園を持っていた。しかしそれ以降、伊吹山の薬草は歴史から、世の関心から忘れ去られてしまったようだ。

少し前に日本のインディゴとして藍が注目されたことがあった。その時自分が探したのは、藍染のベッドカバーや下着、そして藍の茶だった。結局思うようなものが見つからなくて、藍のスプレーとお茶を買った。日本の古代の色彩の話を聞いていなかったら、藍は自分にこんな響き方はしなかっただろう。そんなことも、今回ふと思い出した。

赤いふんどしもお歯黒も、私たちの祖先が命がけで身体を守る為に、見えない細菌と闘いながら編み出した知恵であり、それらは全て祈りに通じるものだったのだろう。時は経っても、やはり私たちは見知らぬ菌と戦い、共生する方法を見出そうしている。今の自分たちに、先人たちの対処の仕方が何かしらヒントを与えてくれるのではないか。食べること、纏うこと、身を守ること、そこに新たな連携がないだろうか。祈りのような気持ちが、古代の染色のことを思い出させたのかもしれない。



今後の取材調査費に使わせていただきます。