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「どうして?」が広げる私の世界観

大袈裟なタイトルですいません。

先日公開させていただいた記事のスピンオフ編です。もしお時間があったら見てみてください。でもごめんなさい、長いです。お時間のある時に是非。

前回の記事ではNさんと記載していましたが、Nさんの名前はずばりナタリ。とても面白いケベック人です。

モントリオールとバンクーバー。今ではきれいに東西に分かれてしまった私たち。ちょくちょく会える中ではないけど、それでもSMSでつながり、何年かに一度モントリオールの夫の実家を訪れる際、必ず会って近況を報告し合います。

私とナタリの出会いは今から30年以上も前(怖い)。初めての海外生活となるモントリオールでの夏季短期留学先で知り合いました。

モントリオール到着直後、全ての「初めて」に私はどう対応していいのか、いっぱいいっぱい。到着したモノトーンな空港とやけに背の高いカナダ人たち、メトロの匂いとか、空気間の微妙な違い。とにかく全身で「初めて」のシャワーを浴びている状態でした。

学校初日、時差ぼけで訳が分からないまま、学校へ向かいます。面接と筆記テストを受けて、そのままオリエンテーション。大学のキャンパスは市内に何か所もあり、そのクラスによってロケーションが変わる、スタッフの説明はよく聞き取れなかったけど、もらったレターに必要なことはすべて記載されていて、ほっと一安心です。

翌朝クラス発表、そのまま自分のクラスへ。ナタリはその中のクラスメートの一人でした。随分国際色豊かでボーゼン。よかった、日本の学生がいる!20人のうち日本人は私とJさん。またほっとします。

クラスが始まり先生の話すスピードに頭が真っ白に。絶対無理だ。何を言っているかわからない。。。動揺しまくる私だったけど、授業終わりにJさんのところへ。「先生が何言ってるのかわからないんだけど、どうしよう。。。」

藁に縋りつく勢いの私にJさんは、あなた誰?といった様相で「クラス変えてもらえばいいんじゃない。」と一言。そして日本語で話しかけないでというオーラ全開で私を置いて行ってしまった。

今ならJさんの気持ちはよくわかる。日本人だからって勝手に仲間だと思わないで。こんなところまであなたを助けに来たわけじゃない。私の大事な時間を無駄にしないで。そんなところでしょうか。。。

もっともなのです。私は日本にいる時、周りの人に支えられてきました。家族は勿論友人、先生。見えるところでも見えないところでも。

でもここでは一人です。もう涙が止まりません。次の授業も出席はするし、先生が白板に書かれたことはノートに書きとりましたが、引き続き何を教えてくれているかわからず。。わかろうともできず。ただただしくしく泣いていました。

授業中はことごとく私のことを無視していた先生が授業の後、「どうして泣いているの?」ととてもやさしく呼び出してくれます。

カナダにきてたくさんの違いに驚いていること、家族と離れてしまって不安なこと、授業中に先生の話していることがよくわからないこと、どうしてこのクラスになってしまったかわからないこと。思っていることをすべて先生に話しました。

先生は「あなたがこのクラスに入ったことは間違いではないし、話をしてみて、やっぱり私はあなたはこのクラスにいるべきだと思う。でも最後はあなた次第ね。」と言われました。

It’s all up to you.

時差ぼけと疲労で体も心もぼろぼろでしたが。。。あの時もっと頑張っていたら。。。後でそんなことをいうのは絶対に嫌です。それだけはわかります。ここで私の覚悟が決まります。腹を括るというやつです。

先生から「他のクラスに行ってください」と三下り半を突き付けられるまで、何とかここで頑張ろう。泣き虫弱虫みそっかすの私はそう決心しました。

翌朝、担任の先生が「皆さんにお話があります。」といきなりなんだか重々しい雰囲気。私のクラス替え?さようなら1日だけのクラスメイト???頑張っていいはずだったんじゃなかったの?

「メイメイ(私のこと)は初めての海外生活でちょっとホームシックです。このクラスで勉強するには皆さんの協力が必要です。ナタリさんにメイメイのパートナーになって、わからないことは説明してもらってもいいですか?」

ナタリはおもしろそうに「もちろん。」と私の隣に移動します。なんですか、これ??突然の展開に私は固まり、そしてまた涙。

もうなんで泣いているのか、悲しいのか嬉しいのかすらわからず、完全に許容範囲オーバーであふれる気持ちがとまらない、そんな状況だったのだと思います。

私の涙にはクラスメイトもすでに驚くことなく、この人はよく泣く人認定をいただいていたようで、しくしくの私をよそに、授業はいつも通り始まり進んでいきます。

ナタリの「わかった?」の合図に、眉間にしわを寄せて45度にうなずく私。そうわかってないんです。ナタリは笑いながら「どうしてわかってないのに、わかったっていうの?」

これが彼女から私への「どうして?」の記念すべき第一号でした。

授業の小休憩にナタリは先生の話してくれたことをもう一度説明してくれます。出来た人です。

ここで先生についてもちょっと説明させてください。

先生は感電でもしてしまったかのような肩につかない長さの白に近い金髪が藁のようにわしゃわしゃと顔から20cmくらいの厚さまで膨れ上がっています。もうBack to the futureのドック、博士です。とうもろこしみたいです。その髪型に圧倒されて初めのうちは顔すらまともに見られませんでした。ちなみに優しい女性です。

格好もスカーフのような長い布(絶対スカーフではありません)を肩からかけスカートもスカーフ?とにかく理解に苦しむファッションで、多分それも集中できなかった理由の一つだったかもしれません。言い訳ですけど。

でも初日にしっかり2人で話ができたことで、先生への印象も変わります。魔法使いみたいな怪しい人が私の事を心配してくれるとても頼れる人に変わったのです。

先生の強烈な容姿や話し方に少しずつ慣れてきた私は初日より集中して話を聞くことができるようになったし、目の前のことを片付けるという一番の基本に帰ることができるようになりました。

1週間もすると英語が上達したわけではないのに、先生の話は大方わかるようになったし、ナタリの仕事も大分楽になりました。でもナタリは私のすること話すことに目を輝かせて、質問は止まることがありません。

「どうしてプリントをいちいち綺麗に折るの?」
「どうして教科書に何も書かないの?」
「どうしていつもまっすぐ座ってるの?」

そして私はいつも彼女の質問に「どうしてどうして?」と、どうしてそんな質問をするのかすら、わからずにいました。

ナタリはプリントを読んだらそのままバックパックに突っ込みます。折るわけでも折れないように気を付けることなく、くしゃくしゃっと。教科書は書き込みだらけ。明日の放課後の予定まで書きこみます。もうメモ用紙がわりです。ガムを捨てるときにでもちぎったのかページの余白が破られていたりもします。授業中は胡坐をかきます、椅子の上で。もう社長です。

今まで気づかなかった「きちんと」は、私の体に染みついていて、考えて行動しているわけではなかったから、説明するのは難しい。それでも私なりにそれぞれの質問にしっかり向き合い何とか説明していきます。その過程で私の当たり前が当たり前じゃない世界があるということを実感、痛感する、そんな毎日でした。

「もっと頑張らないと。」と呟く私に、「どうして頑張らないといけないの?」とナタリ。

ここから私の反撃です。「じゃあ、ナタリは頑張らないの?」

笑顔で、「頑張らないよ。だってそんなの大変でしょ?楽しくないことを頑張ったところでつらいだけ。だったら楽しいことをする方がいいじゃない。」

それはそうだけど、でも勉強とか頑張らないとだめでしょ?

「勉強だってやりたいことやるのは楽しいよ。」

そうなの?勉強楽しいの?私も勉強楽しくできる?そもそもなんで勉強してるんだっけ。。。チーン。完敗です。ナタリには勝てません。

毎日のこんな会話の中でナタリが教えてくれたこと、気づかせてくれたことは本当に数えきれません。

私の知っている小さな世界から一気に大海へと放たれたスイミーのように、目の覚める経験になりました。それは当時の私にはとても刺激的で、そして必要だった大事なことだったんだと思います。

もともとブロンドの髪を退屈だからと赤く染め、ぺしゃんこでかっこ悪いとくるくるパーマをかけた彼女は私より2歳上なだけなのに、すごく大人っぽい。フランス語なまりの英語が余計色っぽい。

すっぴん中学生みたいな私と違って見た目もとてもおしゃれだし、お化粧も入念。クラブやパブに行くのも大好き。将来建築家になりたい彼女はとても有名な大学の建築科に9月から進学が決まっている秀才。

大学の授業はほとんどフランス語なんだけど、英語の授業が受けられたら楽しいかもと思ってこのクラスとってみたのよ。面白そうだったし。

ー面白かった?

授業の内容はどうだろ?でも面白い人にあえてよかったよ。メイメイみたいな人なかなかいないし。

私のことは見ているだけで面白いと言ってよく笑うナタリ。

3週間もすると、私ももう立派なもので(どの口が言う?)先生の言っていることは勿論、クラスメイトとのディスカッションも慣れたもの。意見の発表こそ少ないけれど、聞かれたことは答えられるし、みんなの意見もちゃんと理解できるようになりました。

それでも私が話そうとすると、クラスは水を打ったように静まります(笑)。しゃべっている子は「しっ」とほかのクラスメートに怒られます。

みそっかすが話そうとしてるよ、みんなちゃんと聞いてあげて。そんな空気で教室に緊張感が広がります。さらに緊張する私が言葉を選んで何とか話し終わると、大したこと言ってないのにみんなの心の安堵のため息が聞こえてきそう。

みそっかすのまわりには転んでも大丈夫なクッションの輪ができて、何を言っても大丈夫な安全で温かい空間を肌で感じることができました。

「最近メイメイの泣いてるとこ見られなくてつまんない」といじられるくらいまで成長しました。ありがとう。ナタリ。ありがとう。クラスメイト。

最後のナイアガラ旅行では写真も撮り素敵な思い出が沢山できました。クラスの半分はこのままモントリオールの大学進学。残りの半分はそれぞれの国に帰ります。

折角知り合えた大事な仲間と会えなくなるのが悲しくて、最後の3日間は泣き通し。もうひどい顔です。ナタリがまた笑いながら聞きます。

「悲しいのは私も同じだけど、あなたはどうしてそんなに泣いてばかりいるの?」

だって、もうみんなに会えないし。日本に帰らなくちゃいけないから。

「だったらまた来ればいいだけじゃない。本当にカナダに戻ってきたかったら、難しいことじゃないでしょ?」

だけどね。今とは違うの。このみんなで会えるのは今だけだから。

「だったら泣いてる場合じゃないよね。」

確かに。。。ナタリに一本!ナタリは最後まで手厳しく優しくて、そして正しい。

日本帰国の日、ナタリはご両親を連れて空港に見送りに来てくれました。何度か食事に招待してくれた素敵なご両親の太陽のように暖かい笑顔にまた涙。ありがとうの気持ちが溢れます。

「あなたのせいで泣き虫がうつったわ。」と初めて見るナタリの涙にもう私のシクシクは号泣へ。

帰国後、9月から通常の学生生活に戻るみそっかす。シスターが教室の前方で白板を背に教鞭を取っている、いつもの光景。静かにノートを取りながらクラスを眺めてみる。綺麗に整列しているそれぞれの席に姿勢正しく座って講義を聴くクラスメート。

ナタリの「どうして?」が今にも聞こえてきそう。当たり前の光景が何だか少し違って見えるのは気のせいでしょうか。私も少し変われたかな?ちょっと大人になったようなくすぐったい気持ちを思い出します。

今回はyuji_ariharaさんの優しいイラスト使わせていただきました。4年生の娘さんの作品だそう。私の中で何かが育つイメージにぴったりでした。




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