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推しを語る女子たち|小礼拝堂にて(番外編)

 もう月も改まりましたが、先月(末)の、小礼拝堂での学びの会。牧師さまと女子たちによる、まじめで気ままなおしゃべりの会です。

 今回は参加者が少なかったため、いつもよりラフな空間でした。アドヴェントなので、シュトーレン(星形)をつまみつつ。(礼拝堂の写真は畏れ多いので、テーブルの上だけドキドキしながらスマホで...)

 以下、実録というよりは編集&やや創作も加え、雰囲気をお伝えしようと、ほんの一部、書き起こしました。

かなりマニアックなので、(賛にしろ否にしろ)キリスト教に興味のある方の胸にしか響かないかもしれませんm(_ _)m
以前載せた「小礼拝堂にて」は、今でもぽつりぽつりと読んでくださる方がいるので、たぶんタグからいらしてるのかな? それに力を得て...内容的に、怒られないか、気に病みつつ(^^;




「そういえば、イエス様の容姿は、聖書にはいっさい書かれてないんです。背が高くて細身に描かれたりしますが、意外と小柄だったりするかも」

「...それって、あれですよね。(やや声を落として)十字架にかけられた時に、ずんぐりむっくりだとさま・・にならないっていう...」

「......ああ。(一同、背徳感の共有)」←汀はココ

 こわいね女子(^^ゞ
 というか、イエス様像を作り上げたのは、女子だけでなく、古今東西の人間たちなんですけどね。

 集まった人たちは気心も知れ、みんなイエス様LOVEなので、こういう会話も許されたり🤭💦


 今月は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの世界宗教に共通する聖典《旧約聖書》と、キリスト教の聖典《新約聖書》の相関関係についても取り上げられたのですが。

(※)旧約聖書の中に、いずれ救い主メシヤが現れるとの預言が記されていて、イエスさまがその救い主として世に現れた、という流れです。



 牧師さまとしては、「おおもとは《旧約聖書》なのだから、宗教間で喧嘩しなければいいのにねえ」という論調です。

 推しイエスさまについて語る、迷える子羊たちは、あらぬ方向へ。

「じゃあ、イエスさまも旧約聖書は読んでおられたんですね?」

「そうです。熟知していましたから、律法学者たちを論破され、彼らの不正義を指摘したために、しだいに目の敵にされるようになったわけです」

「じゃあ、イエスさまって、旧約聖書のイザヤの預言とか読んで、『これってオレのことじゃん? ちょっとこのフレーズ成就させとく?』って思ってた?」

「イエスさまの自己認識については、はっきり結論が出ていないんです」

「自分を《神の子》と自称してはいなかった?」←汀

「そうですね。はっきりと《神の子》とまでは言っていない。むしろ《人の子》は言っていました。――ゲッセマネの祈りの時に、父なる神を《アッバ》と呼ぶのですが、これは幼児語で、《父ちゃん》とか《パパ》にあたる。それだけ神を近しく感じていたということは言えると思います。十字架上でも、周囲が《神の子》と呼んでいました。――4つの福音書によって記述が違うのを読み込むと、ほんとうにおもしろいんです。前も話したとおり、女性たちは何人もとどまり、弟子はみんな逃げたと書かれてあったり」

「あ、でも、たしかヨハネだけはとどまったんですよね?」←汀

「それは解釈がいろいろあります。《ヨハネによる福音書》にのみ、イエスが"愛する弟子"と呼んだ弟子が一人いて、その弟子は十字架を見守ったと書かれています。そしてその弟子が、ヨハネ伝ヨハネによる福音書を書いた、と」

「...つまり、ヨハネ伝のみに、"ヨハネは逃げませんでしたよ"...と書いてある?」←汀

「ヨハネ伝は、他の福音書より数十年遅れて執筆されたと言われています。ですから、すでに世代交代した後であり、十二使徒のヨハネと、ヨハネ伝を書いた人物は、実際には別人かもという解釈もあるわけです。なにしろ2000年前のことですから」


 つまり、イエスさまに(特別に)"愛する弟子"がいたのかどうかはイマイチ不明、ということみたい。

そのあたりは、個人個人に委ねられているのでしょう。イエスさまをめぐる物語は無数にあるのでしょうし、多いほどイエスさまはお喜びになるのではないかと思います。


 イエスさまをめぐる4福音史家の微妙な眼差しの差異が、我こそはイエスさまの真の理解者だ、と気炎を上げているようにも思えて、なんだかかわいいなあ、なんて思ってしまうのでした。


 それにしても。イエスさまは当時も苦労なさったけれど、後世の女子にもいじられるという...らしいといえばらしい気も(^^ゞ♡

牧師さまはおそらく、ご自身の信ずるところというよりは、一般的な(多数派の)キリスト教観を語っておられるのだろうと理解しています。

また、星の汀が聞いて帰った内容なので、誤解している可能性もなくはないことを申し添えます。

特にヨハネ伝については、いざ書こうとすると不明瞭な点も残り、4福音書の磔刑部分等を読み比べて確認しましたが...聖書のことばは現代から見ると象徴性が高く、また翻訳上の技術的な問題もあり、なかなか難しいですね。ヨハネ伝は特に抽象的な語り口だし。


#小礼拝堂にて
#聖書
#キリスト教
#宗教

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