ミニマリストは資産形成の過程を自由の糧とする
わたしはミニマリストである。
これは別に、千円札から追い出された夏目漱石先生の名著のオマージュではない。
ミニマリズムを取り入れた暮らしには、いろんな主義や価値観があると思う。わたしの場合、ミニマリズムには豊かさ、軽やかさ、自由という魅力があると感じる。それを実現するために少ないもので暮らしている。とはいえ、こつこつ増やし続けているものもある。
それはお金である。ほかにも知識や友情、骨密度など、増やした方がいいことは山積しているものの、とりあえず「お金」に関しては、ちょっとずつ貯めている。ミニマリズムとは逆をいくこの過程を、資産形成と呼ぶと知ってもう数年が経った。
資産形成は将来の可能性、選択の幅を広げ、私たちを自由にしてくれる。しかしそれは、「1億円のまとまった資産ができた」からではない。わたしがこのような資産形成の恩恵を実感できたのは、高い山を登り、深い森の中を歩き、大海を航海している、資産形成の真っ只中のこの瞬間に、だったのである。
今回は、資産形成による「自由」とは何十年も先にある代物ではない、というお話。
はじめに:仕事を辞めたい話
資産形成が途中でも、その恩恵(選択肢の広がり、自由などなど)は今から受け取ることができる。
そう感じたきっかけは、今年の春にした転職である。というか、転職して4か月ほど経つが、すでにこの仕事を辞めたいと考えている。これが今回の話の出発点となる。
わくわくして飛び込んだ新しい分野のお仕事は、目をきらきらさせていた私が思い描いていたものとは違った。やりたいことはできず、待遇は転職前の説明と異なり、直属の上司とは価値観が合わない。憧れが大きかった分、リアリティショックという反動は大きかった。
そして、両親や前職の先輩に相談すると、みんな口をそろえてこう助言する。
「石の上にも三年というじゃないか」
「もう少しだけ続けてみたら、何か変わるかもしれないよ」
「また転職したとして、今より悪いかもしれないじゃないか」
人生の先輩である彼らは、私のためを思ってこそ、私の「辞めたい」という願望にやんわりとNOを突き付ける(あくまで「やさしく、そっと」であるが)。ミニマリズムや資産形成を知らない頃の私であれば、きっと同じように考え、歯を食いしばって、重たい足どりと心で出勤していたはずだ。
しかし、今の私はそうは思わない。絶賛、嬉々として、転職活動中なのだから。辞めたいと思ったのなら、いつでも辞められる。心の底からそう思っている。嫌な仕事で自分をすり減らし続けるより、うまくいくか分からないけれど「とりあえず辞める」選択をすることができる。
なぜなら、私はミニマリストだから。
ミニマリズムは自由を見つけやすい
ミニマリズムが、仕事を辞めること、ひいては資産形成やその先にある自由と、どんな関係があるのだろう。
まだ資産形成を成し遂げてもいない筆者から確実にお伝えできることが、ひとつだけある。それは、ミニマリズムと資産形成の相性がいいということだ。
ミニマリズムを取り入れた暮らしは、そんなにお金がかからない。当然、私の生活費もたかが知れている。だからこそ、すぐに生活防衛資金(生活費の半年~2年分の貯金のこと。資産形成では、まず生活防衛資金を用意してから投資をすることが推奨されている)を貯めることもできた。
つまり、ミニマリスの資産形成のゴール設定は、低めで済むのである。そんな「簡単そう」な目標だから、ずぼらで悲観的な私でも、資産形成に取り組むモチベーションを保ちやすい(10年以上継続しなてくは意味のない積立投資を数年でやめてしまう人は少なくないらしい)。継続して取り組むことで、資産形成の知識と経験を堅実に積んでいくことができる。
実際に私は、お金を貯める勉強をして、それを暮らしに落とし込んでいった。ただでさえ小さく少なく生活しているものだから、回せる金額も時間も労力も、普通の人より多かったのだろう。自然とお金にまつわる知識、経験は積みあがっていった。あくまで私にとって必要な分だけ、ではあるけれど…。
お陰で「ミニマリストの暮らしに必要な金額なら、いつからでも、どんな仕事でも、自分の能力なら稼ぐことができる」と言えるようになった。その自信こそが、私を身軽にしてくれており、自由な選択肢を持つことができている理由なのかもしれない。
資産形成におけるミニマリズムの利点は、お金がかからないということだけではない。
ミニマルライフは身の回りが整理されているから、見通しがいい上にゆとりもある。だからこそ、足るを知ることができるのであり、これがミニマリズムの利点であると同時に、資産形成においても重要なのである。
足るを知るという言葉は、仏教が由来であり、ミニマリストの目指す暮らしや心構えとしてよく取り上げられている。実際、足るを知れば、今あるもので満足することができるのだから、たくさんのものは必要ない。だから少ない持ち物で暮らす、いわゆるミニマリズムと相性がいい。
しかし、足るを知るという言葉を、ただミニマリズムに都合のいい道具として考えるのはもったいない。足るを知るとは、少しのことから多くの楽しみ、豊かさを引き出せる一種の能力を指していると私は思っている。それを発揮してこそ、足るを知っていると言えるのではないだろうか。
先ほど述べたように、ミニマリズムを取り入れた暮らしは見通しがいい。だからこそ、ひとつの物事からたくさんの楽しみを見つけやすく、足るを知るのに適した環境といえる。つまり、足るを知ることは、ただミニマリズムを成り立たせるひとつの要素などではなく、お互いに影響しあい相乗効果を生み出すものである。
ただ持ち物を減らしたいがために「タルヲシル、タルヲシル」と唱えるのはやめて、1から10を引き出すために足るを知ろうと努め、そのためにミニマリズムで暮らしを整えるのがよさそうだ。
そんな、「足るを知る」を促進させてくれるミニマリズムを暮らしに取り入れている私は、資産形成に取り組んでいる中で自由を感じることが増えていった。普通の人であれば気にも留めない些細なことでも、見通しのいい足るを知る暮らしの中にいると見えてくるのである。
たとえば、お金をかけなくても暮らしは楽しめるし、世間で騒がれるほどお金の心配はしなくてもいいと安心することができた。生活費を稼ぐ方法にはいろいろあることも知ったから、今の仕事や正規雇用にこだわる理由もないと考えられるようになった。働くこと自体は嫌じゃないと分かったから、完全なリタイアではないセミFIREに目標を下方修正してもいいことに気付くことができた。
ミニマリズムも足るを知ることも、不足や欠乏をごまかすものではない。どちらも自由に、豊かに暮らすための考え方であり、それは資産形成の目的とも合致する。
資産形成は自由に生きる土台であり、自由とはまとまった金額を積み上げた先にあるものだと私は考えてきた。しかし暮らしを整え、足るを知ったミニマリストの私は、資産形成の過程からすでに自由という恩恵を受けとりつつあるのではないだろうか。わたしが「いつでも仕事を辞められる」という一種の自由を感じている理由を「ミニマリストだから」だとお伝えしたのは、このためである。
資産形成は、畑を耕すのに似ている
わたしが好きな本に、「お金の減らし方」というなんとも天邪鬼なタイトルのものがある。「スカイクロラ」や「すべてがFになる」を書かれた森博嗣氏の本だから、当然これもとてもよかった。
そんな本書の中に、こんなことが書かれていた。
なにかに打ち込んだ分だけ、自分という土壌は豊かになっていく。なにも育たないような、石の混じった固くて痩せた土地だったとしても、いろんな道具で掘り返して、やわらかくする。そうすることで、種をまけば実るような良い土地にすることができる。人も土も、そこは一緒なのではないだろうか。
料理が好きなら暮らしに彩りが、読書が好きなら感性に深みが、スポーツマンなら筋肉が。資産形成にも同様の、ある種の恵みがあると私は実感した。それが自由であり、その土台は資産形成の過程で培った経験といえる。耕してきた自分という「土」から自由という「実り」を発見できたのである。
1億円貯めたから自由になれた!という話ではない。自由というものは、資産が積みあがった先にあるものではない。経験を積み上げ、試行錯誤する道のりにこそ、自由という花は咲いていたり、実りという形でころんと落ちているんじゃないか、という体験談である。
そして、常に暮らしに気を配っているミニマリストは、歩いている道のりに咲いている小さい花を見つけるのが上手なのである。FIRE目指して全力疾走するのもいいけれど、脇目もふらずに急いでしまえば、そこにある自由に気付けない。だからこそ、ミニマリストはゆっくり歩く。
おわりに:自由とはなにか
「自由とはなにか」と壮大なお題を掲げてみても、哲学的だったり深遠なことはなにも言えない。これを書いていて思ったことを、きゃんきゃん吠えるだけなのであしからず。
わたしは、「自由」とは心の持ちようだと思う。自分の現状をどう受け止めるのか、その姿勢次第で自由かどうか決まるのではないだろうか。
挑戦した新しい仕事は自分とは合わなかったけれど、それを知ることができたのだからよしとしよう、と素直に思えること。
また焦らずに転職活動をしていこう、今度は自分に合った働き方ができたらいいな、と前向きに思えること。
無職になったとしても、これまでの経験があるのだから不都合なく暮らしていくことができる、と気負いなく思えること。
こんな風に自分の状況を見つめることができるから、仕事を辞めたいと思っていても不安はない。いや、それは格好つけかも。不安はあるけれど深刻ではない、というのが正直な感想である。
それは、資産形成をする過程で耕し、磨き続けてきたなにかしらが、私のやわらかな心を保護する「お守り」になってくれているからかもしれない。それをどう呼ぶのかは人による。自信、自由、能力、なんでもいい。
大切なのは、やりたいことをいつでも実行できる、と思えること。これだけで、心は少し軽くなる。資産形成を継続するのがつらくなったときは、すでに手にしている自由の感触に意識を向けることをおすすめしたい。
みなさんの暮らしが、より一層素敵なものになりますように。
おわり
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