これでいいのか?読書感想文!
ちょっと思うことを書きます。あくまでも個人的な意見です。
小学校に入学し、毎度夏休みの宿題として出される読書感想文。
学校にもよると思いますが、我が子については、課題図書の中から好きな本を1冊選び、低学年なら400字原稿用紙2枚程度のものを提出するというもの。そして学年内で優秀作品がコンクールに推薦される仕組みになっていました。
そこで、我が家のこの3年間の取組を振り返ってみます。
小学1年生のとき
宿題の自己管理がまだできないお年頃の娘は、読書感想文という宿題がどのくらい大変なものなのか、そして、親も子どもがどう取り組もうとしているのか分からず、なんとなく、時間だけが過ぎ、始業式前日に慌てて、机の前に座らせて書かせました。親子で泣いた!
小学2年生のとき
夏休み前から、去年の反省を踏まえ、図書館で、読書感想文の書き方を指南するドラ〇もん、ま〇子ちゃんなどの漫画学習本を借り、子どもに読ませる私。読書感想文にはテンプレがあることを知る。衝撃!
そこで、ネットで、低学年向けのテンプレを検索したら、あるわあるわ!
低学年向けのテンプレは、穴埋め方式となってて、例えば、
私は( )という本を読みました。
この本を選んだ理由は、( )だったからです。
こんな感じで、子どもが埋めて、それを原稿用紙に書き写せば完成するもの。さすがに、そのまま書き写しはないな、と思って、いくつかのテンプレを組み合わせ、それをベースに子どもに作文させて、無事に終了。
小学3年生のとき
原稿用紙の枚数が3枚になったため、2年生まで使っていたテンプレートでは文章量が足りなくなるため、少し難しめのテンプレート(QA方式で20問くらいある)を使って、子どもに振り返させてみました。
Q.どうしてこの本を読みたいと思ったの?
Q.印象に残ったシーンは?
Q.共感できる登場人物は?
Q.自分だったらどう行動した?
などの問いに対して、Aを自由記述で埋めていき、それを取捨選択したり、順序を入れ替えたりして組み合わせれば、完成。
今回は、下書きをipadで書かせ、文字カウントもバッチリしながら、始業式1週間前に完成し、安堵。
自分の幼少時代
さてさて、自分の幼少時代を振り返ってみると、どうだったか。
親に宿題を手伝ってもらった記憶なんて一つもない。ましてや読書感想文などといった、自分の心の内を文字にして表に出すといったものを、親に読まれるなんぞ、なんて恥ずかしいことか!!と思うわけですよ。
さらに、テンプレなど知る由もなく、試行錯誤しながらも、自分の思うがままに書き綴っていた、はず・・・。
読書感想文は何のため?
それが我が子はどうでしょう??
テンプレにより誘導され、そのレールに乗って書いていけば、いつの間にか起承転結が整った感想文が完成する。同じ試行錯誤でも、なんか違うんじゃない?
一体、何のための読書感想文なのか?!何のための宿題なのか?!
そして、もっとゾワっとしたのが、自分の経験や体験とリンクさせた感想を書く時に、その経験や体験が読み手に感動を与えるものだったり、より社会的な課題や問題だったりするものを考えてしまう、というもの。だってその方が読み手に大きなインパクト、印象を与えるからね。
なんかこれって、俗にいう「感動の押し売り」や「感動ポルノ」に似てない??って私は思ってしまったわけですよ。すごくモヤっとしてしまったわけですよ。低学年でそんな大それた体験している人っているのかな。少なくとも子ども自らがそこまで意識しているかどうかってとても怪しいと思う。
正直、我が子は対した経験がなく、”主人公の優柔不断さ”を自分に当てはめた時に出てきたのは、”レストランのメニューをいつも選べない”というものだったし。おぬし、その程度なんかーい!ってことです。(かといって、親が体験や経験を盛れないし。「スケールの小さい共感だな・・・」と思いながらも、コレ、そのまま書かせました。)
最後に
では、親はこの宿題にどう向き合ったらよいのか。
来年は小学4年生。これまでの3年間の取組を子ども自ら振り返り、どうやって読書感想文に取り組んでいったらよいかをまず初めに考えさせる。それが必要なんじゃないかと。
親はそれをアシストしてあげて、本人が「今年もテンプレをつかいたい」というのであれば、そうすればよい。使わないなら、もがけばよい。
それが主体的な学びにつながるのではないか。
あとは、スケジュール管理。
泣きながら慌てて始業式前日に書く、というのだけは親子共に避けたいので、適度に声掛けする。
最後に、採点する先生へのリスペクトを忘れずに。
なーんてキレイ事を言ってるけど、果たしてこの私にできるかな?
以上です。
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