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メロンソーダから得た彩

夏も終わり、と言いたいところだが
汗ばむ気温が続く9月上旬。

そんな日には当然冷たい飲み物が飲みたくなるわけで、バイト先の後輩とカフェに立ち寄った。

何を飲もうかとメニューを開いた瞬間、
飛び込んできたのはステンドガラスように透き通った緑。
メロンソーダである。
そのお店の限定看板メニューであるようだ。

もともと炭酸が苦手でソーダを飲んだ記憶もないくらいの人間ゆえ、当然メロンソーダを飲んだことはない。

「このメロンソーダ美味しいみたいですよ」
早速後輩が調べてくれた。
飲んでみたい気持ちが高まる。

いつもなら
"いや、やっぱ飲めなかったら困るし"
と思って頼まないはずである。

しかし、今日は違った。
コロナ期間の自粛以来、久しぶりの外食だったので心躍る気分で調子づいていた。
メロンソーダを頼んでみた。

いざメロンソーダが席に来ると、
"あ、メロンのシロップって真緑じゃなくて結構黄緑っぽいんだ"とか
"グラデーションめっちゃ綺麗だな"とか
そんなことを思った。

そして飲んでみた。
乾いた喉に染み渡る甘さ。
その甘さも爽やかで優しい味がした。

自分の思い描いていた炭酸がきつい甘すぎるメロンソーダではなかったのだ。
これにはとても驚いたと同時に、なんて人生損してるんだろうと思った。

メロンソーダを今日頼まなければ、
こんな綺麗な色も味も知らなかった。
食わず嫌いが新たな発見や感動を拒んでいたのだ。

でも、きっとこのメロンソーダだけじゃない。

今までもこれからも自分だけの色眼鏡をかけて世界を見てしまうんだなぁとふと思った。
なぜなら色眼鏡は自分の価値観が反映されるから。

どうしても色眼鏡を外すことはできない。
ゆえに自分には赤に見えて、ある人には青に見えることなんて限りなくあるはずだ。

だからこそ、色んな人と関わって自分なりに多様な立場に立って考えないと分からないし、
机上の理論ではなく体験することで初めて理解できることも多々あることを知っておくことは大切なんじゃないかと思う。

そうすることで人生に少しずつ彩を加えていくことができるのではないか。

メロンソーダから得た自分への教訓。










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